【オーストラリアW.H.体験記2003⑧】恋するラウンド編|一歩進展を見せる南回り旅

2003ワーキングホリデー体験記
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残念なことに、たくさん撮ったはずの写真は、シドニーの途中からデータが残っておりません。
なぜかコピー用紙にプリントアウトしたものがラウンド中盤分まであるのでpdf化してみたのですが荒いのはご容赦ください。雰囲気を味わっていただければ。
ワーホリラスト1カ月ほどにいたっては、紙ベースの画像一つ残っていません。まあそれも、私の精神状態がまっとうではなかった証拠と言えばそうでしょう。
そんな私の色ボケ状態でのラウンド。ご興味がありましたら、もうしばらくおつきあいください。

平常心を欠きつつも!?オーストラリア醍醐味満喫の南回り旅(前半)

アデレード(Adelaide)の宿にて

日本人女性と恋バナ

アデレードの街自体は、シティをちょっと散策したくらいで、通過地点的な感じですが。パースで見送ってくれたAへの思いに気づきギャン泣きした、切ない場所として今も心に残っています。

彼のメッセージや電話を待つのに一日を費やして、彼のことが心の大部分を占める私は、正直ほかの男性とは一切かかわりたくない心持ちでした。
そんな心境の宿で出会った日本人女子に、思わずあふれ出る思いの丈をぶつけてしまうことになります。
そもそも海外の一人旅で出会う邦人は、一瞬で親友レベルに心を開ける場合も少なくない。
もちろん私の話だけでなく、彼女の話も聞きました。
一つ年上の彼女は、京都大学卒!の某大手金融機関で勤めていたという元バリキャリ。しかし激務と職場不倫にて、心身ともに疲弊し鬱を発症。
退職し心機一転、渡豪してきたところでした。う~ん壮絶。

後日談

彼女とはこの宿で1日一緒にいただけの仲でしたが、翌年奄美の実家に遊びに来てくれ、その後も数年は連絡を取り合いました。
ちなみに帰国後、同じ時期のTOEICを受験したところ。私は595彼女は720という結果に。
やっぱ学歴の差は顕著だわ~と、何気なく勉強の仕方を尋ねると
「5冊の問題集3周ずつしたよ」
とさらりと言われ驚愕。仕事のためとかじゃなく、ただ受けるから当たり前の準備として。
私なぞ生まれて初めて1冊の問題集を解き切って、自己満足にひたりつつ試験に臨んだのに(でも勉強嫌いなりに頑張ったの褒めて~)。
賢い子って、頭の出来が違うのはもちろんのこと。学習の仕方を知っていて、当たり前にそれが実践できるんだなあと納得しました。
学歴が高くても無能な奴もいなくはないけど、それはごくごく一部。それをやり玉に挙げられて、やっかみで「学歴は社会に関係ない」と言われがちだけど。やはり学歴が高い人の大部分は有能。それは勉強への耐性がある=実務能力があるからだと改めて思いいたります。

コリアンコロニー・ラブ♡

同じくアデレードの宿にて。キッチン兼食堂に一人で行った時、韓国人10名ほどのグループが一緒に調理をしておりました。
何やらおいしそうな鍋の匂いに、よほど物欲しそうな顔をしていたのでしょう。食べる?とお呼ばれしてしまいました。
それぞれが持っているマイキムチまでご相伴に。
彼らはもともと一人~数人単位のワーホリメーカーでしたが、どの宿でもこんなふうに、韓国人は共同で食事を作りシェアするのです。
その後も同じようなグループに出会い、2~3度ごちそうになりました。
彼らはもちろん食費もシェアしていますので、自分も払うよと言いましたが「おもてなしだよ」的な感じで断られました。
日韓問題色々ありますが、民族的にはやっぱり一番相性がいいと実感する出来事の一つです。

【閑話休題】兵役を終えた韓国人男子のカッコよさよ!

オーストラリアではとかく韓国人グループと関わることが多かったのですが。
あらゆる共同作業の際に韓国人男子たちが率先していい働きをするのに感心したものです。
聞けば彼らは大抵、2年間(長い!)の徴兵義務を全うしてワーホリに来ている面々でした。
渡豪前は正直「21世紀に徴兵なんて野蛮な」と思っていた私。しかし兵役済み男子に出会う度に、その考えは覆されるのです。

ケアンズの語学学校では一人、甘ちゃんでヘラヘラして何もできない男子(確か20歳)も一人いたのですが、彼はまだ徴兵前。「帰国したら行かなきゃいけないからいやだなあ」と泣き言漏らしておりました。
逆に一番仲良しだった兵役済みのJames(当時25歳)は行く前はすごく嫌だったけど、したこともなかった料理ができるようになったし愛国心も増して、今は本当に行ってよかったと思うと語っていたものです。

またある宿の洗濯干し場で、芸術的に干された寝袋を、実に手際よく片づけている韓国人男子を見かけた時など。思わず「上手だね!」と声をかけると「軍で教わったからね」と誇らしげに言われたのも忘れられません。
そんな韓国人男子と遭遇するたび、在豪日本人女子たちは口をそろえて「日本も徴兵制導入すればいいのに!」と少々危険な発言をしていた(日本人男子は皆黙っていた)のもご理解いただけるでしょう。というか先ごろ復活を果たしたBTSも、みんな男っぷりが上がっていると思いませんか? 

心ここにあらずのカンガルー島(Kangaroo Island)観光

カンガルー島とは?

アデレードでからは、泊りがけのツアーを一つ事前に申し込んでおりました。
カンガルー島という、名前だけでウキウキしてしまう場所を訪れるものです。

アデレード南西112 kmに位置するそこは、オーストラリア国内で3番目に大きな島。
カンガルーはもちろんコアラやワラビー、そしてアシカ・オットセイ・ペンギンなど海の野生動物も目にすることができる人気観光地でもあります。
私はよく間違えてペンギン島と言ってしまうのですが、それはパースにあるペンギン保護施設のある小さな離島なので大違い。ちなみにそちらにいるのは主にブルーペンギンで、カンガルー島で会えるのはフェアリーペンギンになります。

野生のペンギン激かわ!

前回までのワーホリでの出来事は、書いているうちに次々といろんな思い出がよみがえったものですが…このツアー以降の記憶はぶっちゃけかなりあやふやです。
ここから先のお話は、写真で日付確認をしつつ、少々こじ付け的な時系列になっていきますがご容赦ください。
そんな色ボケの最中でも印象深かったのは、野生のフェアリーペンギン観察という、たいそう素敵なアクテビティでした。夜に巣へ帰ってくるペンギンたちを待ち伏せ?するものです。
刺激を与えにくい赤いライトで照らされた、よちよち歩くその姿のかわいさたるや!動物好きにはこたえられません。あちこちから小さな鳴き声も聞こえ、動物園で見るのとはまた違った「生き物」の息吹を感じたものです。

奇岩リマーカーブル・ロック(Remarkable Rocks)に感じる南極

南極から吹きすさぶ強風にさらされるこの島は、その景観も圧巻です。
写真の私は借りた防寒着を着込んでいますから、真夏ですが寒かったのでしょう。
これまでもケアンズのチラゴーパースなどで、砂漠の奇岩を見てきましたが、荒波に削られたそれはまた趣が違います。
ちなみに一番有名な奇岩リマーカーブル・ロックを撮影していたため、この写真をグーグルレンズにかけて、名前を検索、その名をここでご紹介できました。ほぼ記憶にないけど、グーグル先生ありがとう。

リマーカブル・ロック

荒々しいアシカの群生も強烈!

野生のアシカの群生に驚いたのは、さすがによく覚えています。おそらくシールベイ自然保護公園(Seal Bay Conservation Park)でしょう。
こんな大きな野生動物を、こんなに間近で見られること自体にまずビックリしました。
ビーチに臨むテラスのようなところから見下ろせるのですが、その気になれば近寄れる状態です。無論、誰も近づきませんが。
野生ですので、ただ寝そべっているだけでなく突然ケンカを始める個体もおりました。もし突進されたら人間などひとたまりもありません。
動物と触れ合える施設はあちこち訪れましたが、ここの迫力は別格でしたね。

レトロと近代の融合する街メルボルン

グレート・オーシャン・ロード(Great Ocean Road)

カンガルー島よりアデレードへ戻った私は、次なる街メルボルンへと向かいました。
ただ移動するのではなく、海岸沿いのグレート・オーシャン・ロードを走行する観光バスを使います。ところがワタクシ何を思ったのか、眠くなる成分の入った酔い止めの薬を飲んでしまい、数時間のバス走行をほぼほぼ寝ておりました。
ポイントポイントでは停車するのですが、その時もやっとかっと降りた感じです。
十二使徒(The Twelve Apostles)と呼ばれる、ポートキャンベル国立公園の海食柱(実際あるのは9本)は一応写真におさめていますね。こちらもグーグル先生に確認いただきました。
強風の吹きすさぶ中、自然の生み出した芸術の荒々しさに感心したことは、なんとなく思い出せます。しかしそもそも車窓からの眺め自体すべて、ワイルドで見どころ満載だったはずなのですが。うーんもったいない。

メルボルン(Melbourne)ってどんな町?

そうこうしてたどり着いたメルボルン市街地。そこはシドニーに次ぐ人口を誇る多文化都市でした。
「オーストラリアの文化の首都」とも呼ばれ、ファッション業界やテレビ局などの産業に加え、学術・研究機関や病院・テクノロジー系の企業も密集しています。
歴史的建造物も多く「オーストラリアのヨーロッパ」とも称され、イギリスに非常に似た都市とも聞きました。市内に網羅されたトラム(路面電車)もメルボルンの象徴です。
総人口の約4分の1が移民で構成され、我々ワーホリメーカーや留学生にも住みやすい街として有名でした。

ケアンズの学友と再会

メルボルンの洗礼

ケアンズの語学学校で仲良くなった学友数人とは、頻繁にメールや電話でやり取りをしつつ各々自由に旅しておりました。そして旅先で都合がつけば再会。
メルボルンが気に入り1カ月滞在中だった日本人女子の一人とも、宿で一緒になる手はずになっており、久方ぶりの逢瀬を楽しむのでした。
到着後はシティ内を案内してもらい、かつての収容所跡などを観光。少々霊感のある私にはぞわぞわする箇所が多かったですね。
ところでその後お洒落なバーに行ったのですが。そこの店員は26歳の私と28歳の友人に、ものすごく居丈高にパスポートの提示を求め、心から嫌そうにビールを提供してくれたのが忘れられません。
シドニーやメルボルンは移民が多いこともあり、人種差別が横行している(レストランやクラブで入店拒否など)話もあちこちで漏れ聞いたものですが。私自身は幸いほとんど食らったことがなく、これが一番露骨だったと記憶しています。

仲間内の切符

前回お話した「恋の片道きっぷ」は、常にジャパニーズ・ガールズトークの中心。
もちろん久々に出会った彼女とも、きっぷの話題(=恋バナ)になります。
私は当然パースでの彼とのできごと、そして毎日彼とやり取りしているテキストメッセージの話を。
前回シドニーで会った時点では、ドイツ人大学生のチェリーボーイをもてあそんでいた彼女からは、最近メルボルンで出会った日本人男性に恋心を抱いたものの、あえなく玉砕した話を聞きました。

実はこんな感じに、ケアンズの語学学校でつるんでいた日本人女子たちは(軽いアバンチュール含め)それぞれ外国人男性ときっぷを切っており。みんなで世界地図に色付けなきゃね、なんて下世話な話もよくしたものです。
ちなみに彼女は、メルボルンから帰国時にストップオーバー(経由地に滞在)したタイで、謎のタイ人男性としばらく遊んでいたり、その後旅先のフランス人男性に振り回されたりしたのち、国家公務員の日本人男性と手堅い結婚を果たします。やるね。

パースで知り合った日本人女子と再会

格安航空券の共同購入で知り合う

ところでパースからアデレードへの飛行機を予約する際、バージンエアというLCCが打ち出していた「バレンタインセール」なるものを活用しておりました。
それはカップル(同性でもOK)同時購入で航空運賃が半額になるというもので、要は二人分を一緒に買いさえすれば対象となるという、なんともゆるいバーゲンセールでした。
そこで無料日本人サービスセンターの掲示板で、同じ日にこの路線を使いたい人を募集して、マッチングした日本人の女の子と共同購入していたのです。
彼女とは一応連絡先を交換していたものの、そもそもその場限り?のお相手でしたが。
メルボルンに行くけどいい宿ある?とテキストメッセージが来たので、私と友人が泊まっていたところを紹介し再会することになったのです。

なぜか初まつ毛パーマ

彼女は元看護師エステティシャンに転職したという、おもしろい経歴をお持ちの方でした。
日本人同士は紹介で、理美容師資格のある人が格安でカットをしてくれることがあるのですが。道具と技術をお持ちと言う彼女に、宿で人生初の「まつ毛パーマ」を施術してもらうことになりました。たしか15ドルくらいでお願いしたかな。
超絶不器用な私は、ビューラーが上手に扱えないので以前より興味がありましたし、いかんせんキレイになりたくてうずうずしている恋する乙女でしたから。渡りに船とはこのこと。
これがなかなか素敵な仕上がり具合で大満足。その後もまつパは人生の必需品となっています。

当然出てくるきっぷの話題

さて彼女とももちろんきっぷの話題になります。
職業柄、肌もキレイで品のある彼女。ところがオーストラリア国内で、すでに2回失恋を経験したというのです。しかもどちらも「相手がゲイだった」という、ある種オーストラリアあるある。
一人目はホームステイ先のホストファミリーで、確かに中性的で繊細な感じだったけれど、そこがよかったというから残念です。二人目は旅先で知り合ったオージーガイで、そもそも最初からゲイだと知っていたのに、うっかり好きになってしまったのだそうです。

さてそんな彼女。この直後に、なんとツアー中だったプロゴルファーのキウイ(ニュージーランド人)男性にナンパされ、恋に落ちます。
この後しばらくはやりとりしていたので、時を置かずして「すごくパーフェクトな人と出会ってしまった」と報告を受け驚きました。でも幸せのおすそ分けは大歓迎です。

【閑話休題】海外で外国人と出会いがない方がナニゴト?

そんなきっぷの話題になると、定期的に「どうやったら外国人男性と出会えるの?」と謎発言をする日本人女性に出くわしました。はい?そこら中に外国人男性いますけど??
とはいえ理由は明快で、彼女たちは永遠に日本人としか関わっていないからです。
留学したのに留学先の日本人と日本語だけ話して、まったく語学が身につかず帰国した、って話を聞いたことありませんか?
日本人ワーホリメーカーの三分の一くらい(私個人の体感)は、実際にその状態でした。

もちろん海外で出会う同胞は心強い味方ですし、私自身最高の友人もたくさんできました。
けれど英語や外国人から逃げ、常に日本人だけで行動して、帰国後「海外生活経験者です」称号をふりかざす人たちとは、一線を画してきたつもりです。
語学学校では国籍問わずクラスメイトと積極的に交わりましたし、バイト先では職務を果たすべくつたない英語で頑張りました。
気の合う日本人仲間は同じく、どの国の人にも壁をつくらない感性と行動力の持ち主ばかりです。
せっかく海外にやって来ながら、少しも痛い思いをせず殻を破らず「どうしてあなたには出会いがあるの?」って本気?
そういう輩からは、私は一瞬でフェイドアウトしたものでした

その頃パースでは大事件が発生!

ところで私がアデレード・メルボルン滞在中に、パースではとんでもないことが起きておりました。

Tが驚愕のクソ野郎と判明

心の糧となる宝物の写真

さてパースで出会ったAからは、他愛のないテキストメッセージが日に1~2件送られ、そして3日に一度ペースでかかってくる電話
それを心待ちにする一人旅で、私が折に触れて眺めてしまうのが、出発前にレイナが撮ってくれたポラロイド写真でした。
彼女は当時チェキ(懐かしい!)を持ってきていて、ケアンズでも一緒に撮ったのですが。
パースでも私が出発する朝に、Aと私・レイナとTの4人をレイナママが2枚撮ってくれて、その1枚をもらっていたのです。

Aが私の腰に後ろから手をまわし、そこに重ねた私の手は彼の手の甲くらいの大きさ。彼の長い腕と大きな手に包み込まれる私は、はにかみつつも幸せそうでした。
そしてその横には、Tがレイナを持ち上げようとして二人が大笑いしている瞬間が収められていました。
見るたびにトキメキと切なさがこみあげるこの写真。結果的にこれがAと一緒に写った唯一の写真でもあったのですが。後に紛失して、とても悲しい思いをすることになります。

ケアンズでレイナと撮ったチェキ!

Tを訪ねる不穏な日本人女性

そんな写真を撮った日からわずか数日後。
レイナからの電話に出ると「なんか日本人の女の人がTを訪ねて来て、彼の部屋に泊まるって言ってるんだけど」と言うではありませんか!
「知り合いが訪ねてくる」とは聞いていたけれど、それが女性で宿泊までするというから、驚いたと。
しかも年齢は「お母さんと一緒くらい」というから、アラフィフ(今の私くらい?)女性です。
とはいえ20歳のレイナとつきあう35歳のT、逆に50歳も振れ幅としてはイケるんじゃ?と内心思いつつ。「そんな年上の女性なら、まさかそういう関係じゃないでしょう」とレイナをなだめました。
「そうかなあ…、なんか嫌な感じなのよね」ふてくされる彼女の愚痴を聞き、とりあえずその日は話を終えます。

サイアクの事態が起こる

そしてその翌日、レイナからとんでもない話を聞かされました。
ちょっと会釈をした程度だったその年配女性と、リビングで改めて顔を合わせた際。「あなたはTとつきあってるの?」と聞かれたので、レイナは「はい、そうです」と普通に答えたそうです。
ところがそれを聞いたとたんに彼女は取り乱し、Tを英語で激しくののしって「なんでこの年齢になって、こんな目に合わなきゃいけないの」と日本語で泣き崩れたというではありませんか。

Tは懸命に彼女をなだめましたが、レイナには何も言わなかったのだとか。
一瞬頭が真っ白になったレイナでしたが、我に返るとしっかりTにビンタをくらわせ、そのまま友達の家に行き泊めてもらったそうです。
その際Aが車で送ってくれたので、彼から聞いたところによると。彼女は実業家女性で、Tの紹介でAも日本でお世話になったお方とのこと。そしてTとは肉体関係があるのはもちろん、なんと金銭的補助もしている間柄らしいのです。
今回は急に訪ねてくることになって、Aもマズイよなあ?とは思っていたそうなのですが。
そもそもTは、どういうつもりだったんでしょう。サイコパスか?

改めてTはヤバい奴

レイナママは見抜いていた

テキストメッセージにTのことを”He really is crazy.”と表現してきたAですが。電話ではつい「でもあなたも知ってたんでしょう?」と責める口調になると、気まずそうに「ごめんね、でも二人のことだし」と。
もちろん彼らには彼らの関係性があるし、個人個人が清廉潔癖である必要もない。
感情的にはAにもTの家を出て欲しかったけれど、大人の男性相手に口出しするのも違う気がする。
レイナは大丈夫そう?と聞くと「多分心配いらないよ」と笑っていましたが、こまめに気遣って連絡を取ってくれているようなのは、さすがでした。

レイナはお母さんに対しては、Tのことを「二股されてた」と伝えたそう。
すると「ああ、表面的にはちゃんとしてたけど、なんか病的な感じはしたのよね」と即答したというから驚きです。そんな男と娘が一緒に住んでいるのを、口出しせず見守っていたレイナママったら豪傑。

私もひそかに感じていた違和感

実は私も、Tと二人になった時に何度か、冗談のようにほっぺにキスしてと迫られたことがありました。大人ぶって軽く流していましたが、彼女の友達であり仮にも友達のオンナである私に、わざわざ彼らのいないところで嫌だなあ、というのが本音でした。
そもそも性病もってた奴だしな。
さらにTのバイクでAが私を迎えに来てくれた時、借りたヘルメットを私がぞんざいな置き方をしたところ。Tが突如ものすごい真顔で「これはこう置くんだよ」ときれいに並べ直したので、意外と神経質だなと感じたのも思い出しました。
まあバイク乗りとなった今は、高いヘルメットの扱いに神経質になるのは当然だと分かりますが。
それでもあの時の彼の目には、確かに「いっちゃってる」種類の怖さがありました。

しかしレイナは強かった

2~3日はさすがに動揺していたレイナも、友人宅に部屋を借りることができると「あんなおかしい奴と離れてよかったわ~」とサバサバしておりました。
高校時代から大人の男性と交際し、そこそこ修羅場を経験している彼女。強がっているわけではなく、本当に冷静になったみたいです。
その日本人女性のことも「『こんなツライ恋したくない』ってゆってて、かわいそうだった」と同情する余裕もできていました。
その女性は、Tを本気で好きだったんでしょうね。

私はしばらくしてAに、その女性とTはどうなったのか聞いてみたのですが「わからない」と言われました。知っていて隠してるのか本当に知らないのか、実際のところはわかりませんが。
いずれにせよレイナは、そこから残り一カ月の滞在を、気持ちを切り替えて楽しむことにしたようでした。

思いは募るばかり…オーストラリア醍醐味満喫の南回り(後編)

さて私自身の旅の続きに移りたいと思います。
メルボルンからは、タスマニア島への旅を企画しておりました。期間は一週間ほど。
そして3/6のゲイパレードに間に合うべく、首都キャンベラを経由してシドニーへ戻ります。
さらにその後は、エアーズロックのあるアリススプリングのツアーも予約済み!と、約1カ月は予定てんこ盛りでした。

魅力がいっぱいタスマニア(Tasmania)島へ

タスマニアってどんなところ?

オーストラリア南部に位置するタスマニア州。大陸と異なる海岸性気候のため、四季がはっきりしており雨量が多く、原生林が広がる自然豊かな島です。
私の個人的なイメージは「ワイルドな北海道」。実際の大きさは北海道の8割ほどで、平地の降雪は少なく、寒さはそれほど厳しくなさそうです。
とはいえ訪れた2月末は真夏ながら、日中の気温は10℃台。夜間はさらに冷えますので、古着のセーターを購入する羽目にまでなりました。
メルボルンからはフェリーで北部の街デボンポート(Devonport)まで約10時間、飛行機では南部のホバート(Hobart)まで約1時間ですが、実は私はどちらで往復したのかまったく思い出せないというところもミソですね。

魔女の宅急便?を感じるホバート(Hobart)

大陸とは違う国みたい

写真を見る限り、タスマニアの初日に私はホバートにおります。
ということはおそらくメルボルンから飛行機で向かったのでしょう。うーん、1ミリも思い出せない。
いずれにせよ、とてもかわいらしい街だった印象はあります。
魔女の宅急便にそっくりなパン屋さんがあることでも有名なのですが、確かに街そのものが、その世界観をほうふつとさせました。

オーストラリア本土では、洗練された都会かワイルドな大自然、のどちらかを見ることが多かったのですが。
タスマニア自体、自然も様相が違うし(冷涼地かつ水が豊富で森林多し)、町ものんびりした雰囲気です。ほかの都市部のようにアジア系が少ない(おそらく最初の入植者のヨーロピアン子孫が主)せいでしょうか。ヨーロッパの田舎町のような、異国情緒が感じられるのです。
実際一人で歩く日本人は珍しいのか、すれ違いざまにガン見してくる人がいたり、すれ違う車からは「トヨタ!ニッサン!」と叫ばれたりもしました。

マウンテンバイクで山道を滑走!

ホバートには標高1,270メートルの名峰ウェリントン山(Mt.Wellington)があるのですが、その山頂からマウンテンバイクで駆け降りる、なかなか楽しそうなアクティビティにも参加しました。
まずはホバートの街中からバンに乗って、山道を一気に頂上へ向かいます。そして絶景を堪能した後、各自(5人くらい)マウンテンバイク(車に乗せてきた)で一気に舗装路をダウンヒルするのです。
結構上ったので、なかなかのスピードで数10分の滑降を楽しめました。
ただ後続車が途中で転倒して、なかなかな怪我をしておりましたので。今はあんなにスピードを出させてくれないかもしれませんね。

やさしさに~包まれたなら♪

ところで経緯をまったく思い出せないのですが、このアクティビティや翌日からの2泊3日のツアーは事前に申し込んでいたにもかかわらず、私は初日の宿をとっておりませんでした
そこでアクティビティの出発地点(多分)の観光案内所で、どこかいい宿がないか受付の方に聞きました。50歳くらいだと思われる地元女性でしたが、日本人女性が一人で泊まれるところ…とすごく親身になってくれて。ここならオーナーも親切だから、と1件のバックパッカーに電話予約までしてくれました。
そうしてマウンテンバイクの後訪れた宿はデボンポート。ホバートから車で5時間ほどの町です。はて、どうやって行ったんだっけ? 

デボンポートの宿にて

昔気質のオーナー

宿のオーナーは、ちょっとこわそうなおじいさん(60代?)でした。
しかし親切なスタッフが何か言ってくれたのでしょうか。到着するとドアを開けて出迎えてくれました。一泊だけなのに、なんか申し訳ないなあ。
小ぢんまりとした清潔な宿で、宿泊していたのは4~5人程度だったと思います。
キッチンで白人の男の子が一人、人懐っこく話しかけてくれたのですが…その時の私は、同世代の男性とは関わりたくなくて、ついつい無愛想に応じてしまいました。
日本人の印象悪くしてなきゃいいけど。

思いがけず自分を顧みる会話

翌朝は3日間ツアーのバスが、宿にピックアップに来てくれることになっておりました。
チェックアウトをしてドアの前に座っていると、オーナーが一緒に待ってくれることに。
その時なんとなく家族の話になり「ゆかは長女か」と聞かれたので、そうだと答えると「いずれはご両親の面倒をみないとね」と言われました。
やはり田舎の価値観だなあと思いつつ、それは全然押し付けがましくなくて、どこか思いやりを感じる種類の言い方でした。そのせいでしょうか。それまで深く考えてたこともなかったけれど「最終的には実家に戻ってそうしたい」と自然に返していました。そうか、私そのつもりだったのか。

危うく置いて行かれるところだった…

そんな会話をまったりしていたのですが、約束の時間になっても迎えが現れず不安になってきました。そこでオーナーが代わりに電話で確認してくれることに。
するとだいぶ前に、宿を通り過ぎたといったそうです。ひどい…。
オーナーは「待っている人がいるのにどういうことだ」と怒鳴りつけ、10分ほどしてやって来た運転手兼ガイドを、再度しかりつけてくれました。
当人はへらへらしてたけどね。
そんなトラブルもありつつようやく出発。お世話になったオーナーは、ハグでお別れしてくれたのですが。バスに乗る前に振り返ると、とっくに建物に入って、ドアが閉められておりました。さすが旅人慣れしてクールだわ(笑)でもいい人で本当によかった。

宿とお迎えバス

思わぬ副産物をもたらすタスマニア3日間ツアー

日本人女子は恋わずらい仲間!

ツアーの参加者たち

さてこのツアーは、タスマニアの大自然や動物との触れ合いができるバックパッカー向けのツアーでした。
食事や間の2泊の宿も用意され、移動するマイクロバスを運転するのはガイド自身です。
参加者は10名ほどで、ヨーロピアン(うちドイツ人4人は仲間)のバックパッカー年配のご夫婦、そして日本人の女の子が一人おりました。
若者向けのツアーですから、白髪のご夫婦は異色。
しかし彼らはあえてこのツアーを選び、とても楽しみにしていたということです。
私もシドニーで当時50代半ばの母親をツアーに同席させ、ガイドに気を遣われたものですが。もちろんここのガイドも、かれらによく気を配っておりました。

ガイド補助ってどういうこと?

私は日本人女子のお隣に座ることになりました。
少し話をしてみると、彼女はツアー参加者(お客様)ではなく、ところどころでガイドのお手伝いをするボランティアスタッフということでした。
そういうのもあるんだね~というと「前にこのツアーに参加して楽しかったから、そういうのできないか交渉したの」ということ。すごい!
ところがよくよく聞いてみると(日本語なので会話が弾む)実はきっぷ絡みではありませんか。
なんと彼女、このガイド男性に恋をしているというのです。あらま。
しかしぶっちゃけ、ガイド氏は愛嬌のかたまりの愉快な方ですが、イケメンとはいいがたいスキンヘッドオージー。同世代のかわいらしい彼女のお相手としては、ちょっと意外ではありました。

初日は軽めの自然散策?と動物園!

まずは自然を満喫

グーグル先生検索結果によると、ハーディングス・フォールズ(Hardings Fallst)というところを訪れたようです。ケアンズとはまた異なる原生林は、岩肌もあらわでより未開の地感があります。といっても記憶はないんですけどね。

ランチはガイドの手作り

レストランに寄るツアーなどもあるのですが、このツアーの食事は基本ガイドの手作りだったように記憶しています。実際残っている写真を見ても、おそらくサンドイッチとか作ってくれたのかな?
そういえば夜は寿司パーティ(酢飯と海苔とエビ・ツナ・アボカドなどの具材を自分で巻く)をしましたが、ドイツ人グループに絶不評でしたね。アジアンヘイトの匂いがする、いけすかない連中でしたからね。

ガイド氏調理中
デビルはほんとにデビル~!

動物好きの性で、動物園の写真はいっぱいありますね。だってもう見るもの見るもの愛おしいんですもの。

さてここでのメインはタスマニアデビル
地名を冠しているくらいですから、この地を代表する固有種です。しかし見た目は小熊みたいでめっちゃかわいい♡この子の、どこがデビル(悪魔)なの~と思っていたら。メインイベントの餌やり体験で、生肉(チキン)のほおばり方がすさまじくて納得しました。

南十字星見えない

宿は山中のロッジだったのですが。先の寿司パーティのあと、夜空の星を見ることになりました。
ものすごい星空だった…という記憶はないので、曇りがちだったのか満月に近かったのか。
ところでオーストラリアといえば、北半球では見るのが難しい南十字星(みなみじゅうじ座)が有名ですよね。国旗にも描かれています。
もちろんこの時も、ガイドがその探し方を教えてくれました。
しかしわからない、見えない。
どうやら1等星がひとつだけで、判別しづらい星座のようですね。視力は1.5~2.0の私でも、結局「これ…かな?」くらいの認識しかできませんでした。その後も何度か夜空を見て探したのですが、結局「見えた!」と思ったことはありませんでした。残念。

リアル”Sweet dream”に感動

ところで若者たちの宿泊はドミトリーの1棟だったのですが、高齢のご夫婦はお二人で独立した一部屋を予約しておられました。そこは大人の余裕です。
そしてそれぞれの部屋へ別れる際、ご婦人が我々に”Sweet dream.(よい夢を)”と声をかけてくださいました。
映画などでお母さんがちびっ子に言うのをよく見ますが、私自身このフレーズをリアルで聞いたのは、この時が初めて(そして今のところラスト)です。
すごく優しい「おやすみなさい」のその響き、上品さにしびれました。若者向けツアーに参加して、さらりとこんな言葉をかけられるって素敵じゃないですか?
私もおばあちゃんバックパッカーになったら、若者相手に言ってやろう!とひそかに夢見るところです。

余談ですが、同部屋だった日本人女子は、しれっと「彼の所に行くね」とガイドの部屋(別棟)にお泊りに行きました。いいなー! 

二日目はよりワイルドな山道へ

20年たってAIの力を借りる

二日目はフレシネ国立公園にてトレッキングがメインでした。
ガイドがコース案内の標識にもたれている写真をグーグルレンズにかけたところ、

「Mt Amos 3 hours return(エイモス山への往復3時間)」や「Wineglass Bay 2.5 hours return(ワイングラス・ベイへの往復2時間半)」といったハイキングルートを示しており、「Steep and slippery when wet(濡れると急斜面で滑りやすい)」と注意標記があります。

AIが文字を判別および翻訳してくれました。

もちろんこの公園名もグーグル先生にご教授いただきましたし、あとこれは「ハザーズ山脈のふもと」だそうです。すげえ。

ワイングラス・ベイ (Wineglass Bay)を臨む

というわけで、大変美しいビーチのあるワイングラス湾を臨む山頂へトレッキングです。
とにかく、すごく怖い山道だったのを覚えています。ガイドが一人ずつ、引っ張り上げないと登れないような箇所もいくつかありました。日本だったら許可されないコースなんじゃないのかな。
それにしてもご高齢のお二人は健脚でした。さすがにツアー参加者みんな、かれらのことを気遣っていたのですが。全然へいちゃらでついてきていました。
まあだからこのツアーに参加したのよね。私もこうなるぞ!

ツアーのみんな

3日目は観光

三日目は観光地巡りです。これでもかとグーグル先生に名称を確認いただきます。

ポートアーサー(Port Arthur)史跡

ほぼ記憶にありませんが、天気が良くてすてきですね。

リマーカブル洞窟(Remarkable Cave)

史跡のすぐ近くにある、半島の荒波に削られた洞窟のようです。

解散後はみんなでディナーを

なかなか盛りだくさんの3日間ツアー。
最終日解散した後、メンバーの何人かで港のダイナーで夕食をとることになりました。
早めについてぽやっと待っていると、例の日本人の女の子とガイドが、なんて手をつないでニコニコとやってきました。ツアーを終えてプライベートになったので、ということでしょう。
はにかみながら元気よくつないだ手を振る二人は、とってもかわいらしかった。
参加したほかのメンバーも、そんな二人を微笑ましく思っているようで。食事の席は楽しく、優しさに満ちた温かさを感じるものでした。

h4旅先で恋をするということ

ところでガイド氏はAと同じく35歳で、やはり?バツイチの子持ちということでした。
もちろ旅の合間(移動の時など)に、彼女にも私とAの話もあらかたしておりましたので、同じような男性に恋をしていることに親近感バキバキでした。
彼女はガイド氏に恋をして、彼と行動を共にするようになりもう1カ月がたとうというところでした。しかしワーホリのビザの期限が、その時点であと2週間
「このあとどうするか、まだ決めてない。どうしたらいいかわからないし、一回は帰国することになるかも」寂しそうな顔で不安を吐露する彼女。
あと3か月弱でビザが切れる私も、まったくヒトゴトではありません。
私もいずれ、なんらかの決断の時がくる。それを目前とする彼女を見て、私も泣きたくなりました。

彼女とは連絡先を交換しませんでした。なんでだっけ?
でも「お互い悔いのないよう、がんばろうね」と励まし合って別れた彼女と、ガイド氏の仲睦まじい後姿は今も脳裏によみがえります。

タスマニア最後の思い出はAからの電話

実はツアー中ずっと圏外でした

Aからはほぼ毎日テキストメッセージが来ており、時に電話もしていたお話をしましたが。
当時のタスマニアは携帯の電波が弱く、ツアー中はなんとずっと圏外でした。今や死語ですね。

彼からメッセージが来てるかもしれないのに!と気が気じゃなかった私。
彼から連絡が来ているかどうかも分からず、彼に連絡を取るすべのないまま過ぎた3日間は、ずっとソワソワしていました。

ようやく電波の入る街に来ても、そこにはなんの形跡はありません。
というのも、昔の日本のショートメールのように、圏外の時はセンターに保存されるとかもないようで、一切連絡がなかったのか、連絡があったのに痕跡がないだけかわかりません。
そしてツアー仲間と夕食を終え宿に帰ると、待ちに待った彼からの着信が。
ウキウキしながら電話に出ると、はたして「どこ行ってたの!電話が全然つながらないから心配してたんだよ!!」と彼の安堵した声が聞こえました。

再会の約束に募る恋心

連絡くれてたんだ。私のことをずっと気にかけてくれていたんだ。
彼への恋心がこれでもかとあふれ出します。
「ごめんね、圏外なのはずっと気になってたけど」そうして旅の話を一通りしたところで、私の口からは“I miss you so much.”という言葉が自然に滑りでます。
“I miss you,too!”彼の言葉を受けて「会いたいよ、また会えるの?」と聞くと「もちろんだよ、必ず会える」と答えてくれました。

電話のために出た屋外の、冷えた夜気が心地よくて、夜空の星がきれいで。
あの瞬間の幸せな気持ちは20年すぎた今でも、私の心の片隅にはっきりその足跡を残しています。

会いに行きます

記憶を飛ばしつつも、実り多きラウンド。そしてAと再会の意思を確認して終えたタスマニアツアー。その後の私は、よりフワフワとした旅が続きます。
そしてついに再会、だけれども迎える辛い結末。
その恋の顛末は、また次回!

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