タスマニアでAとの電話を終えた私は、彼と再会する日を夢見つつ、残りの旅程をこなすことになります。
メルボルンへ戻ると、早速バスで首都キャンベラへ。そこで一泊してバスでシドニーへ向かい、この日のためにスケジューリングをしていたゲイパレードを堪能します。
その後はアリススプリングツアーまでが確定していました。
恋わずらい真っ只中でも旅は満喫
南回りラストの都市へ【首都キャンベラ】

キャンベラ(Canberra)はどんなところ?
かつてオーストラリア2大都市であるシドニーとメルボルンでは、どちらが首都となるかというし烈な争いが繰り広げられていました。
その結果、中間地点であったキャンベラに白羽の矢が立てられることになります。
過ごしやすい気候と、内陸で防衛しやすいというのも理由だったようです。
そうして首都として作られることとなったキャンベラ。設計はアメリカの建築家グリフィンによってなされ、世界のどこにもない「完全な計画都市」として建設されました。
国をあげてデザインされた都市ですから、主要な観光地や自然スポット、官公庁・住宅街がすべて車や公共交通機関で約20分圏内というコンパクトさ。非常に効率的な都市のため、激しい交通渋滞もほとんどありません。
国が誇る記念館や博物館・美術館は無料で開放され、実に洗練された完成度の高い街になりました。
美しい街並みに見る先住民の葛藤

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キャンベラの中央に位置する巨大な人工湖バーリー・グリフィン湖(Lake Burley Griffin)では、毎日決まった時間に巨大な水柱を吹き上げるキャプテン・クック記念噴水(Captain Cook Memorial Jet)が有名。
湖畔にはキャプテン・クック記念地球儀(Captain Cook Memorial Globe)といったモニュメントも見られます。

湖のそばにはオーストラリア連邦議事堂をはじめ、国立図書館、国立美術館、科学技術センターがあり、すべてが計算された美しい街は、散策するだけでも一見の価値あり。
しかし国会議事堂前のアボリジニ・テント大使館(Aboriginal Tent Embassy)を目にしたときには、すべてが完璧ではないのだと実感しました。先住民アボリジニが、自分たちはこの国の人間ではない(そのため大使館)という、屈託と反発で建てられたものです。洗練された美しい建築物の前に位置するテントは異質そのもの。
歴史的政治的な話については割愛しますが、オーストラリア国内で折に触れて目にする「先住民の葛藤」の痕跡たち。決して解決していないし、忘れてはならないことだと、改めて考えさせられたものです。
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国会議事堂(右)前のアボリジニ・テント大使館(左は正面から)
ところで裁判を傍聴できたらしい
キャンベラ旅で一つ心残りが。一泊して出発しようという朝、宿で知り合った日本人の子が「裁判見た?」と声をかけてきました。え?裁判って何?
なんとキャンベラにあるオーストラリア連邦高等裁判所では、誰でも(外国人でも)一般傍聴ができたというのです。かなり有名でツアーまであるようなのですが、下調べが甘かった私は、そんなことができるなんて想像すらしていませんでした。
正式な裁判ですので、裁判官などは白髪のカツラ(音楽室のモーツアルトの肖像画みたいな)にローブを羽織った正装(イギリスの伝統)だったそうです。そんな映画みたいなものが見られるとは…。
当時は事前申請もなく(今はWeb予約が必要)、行けば割とすぐ見学できたのだとか。法定モノの映画やドラマが好きな私には、大変悔やまれるチョンボであります。

意外とホームタウン?【シドニー帰還】
まさかの「完了形」体得の瞬間
3週間近い旅を経て舞い戻ったシドニーは、なんだかとても懐かしく感じられました。
過ごしたのはたった3か月ながら、自分で開拓し働いてもいたその町は、意外にも私のホームとなっていたのでしょう。
ところで戻ってすぐ、仲良しのユミと再会した時のことです。一緒にいたユミの彼ピーターに“long time no seen!(久しぶり)”の挨拶から、いつ戻ったの?と聞かれた瞬間、
”I’ve just arrived today!”
と答えた自分にハッとしました。
中学時分の私にとって、英語は楽勝科目だったのですが。初めて引っかかったのが「完了形」でした。”have+pp(過去分詞)”で「経験・完了・継続」をあらわす、という基本文法ですね。
テスト自体はルールに従えば難なく解けるのですが。日本語表現と祖語があるため、単純過去形との使い分けがピンとこないし、そもそもの必要性がわからないのが気にくわなかったのです。
それから10年以上が経ち、26歳の私。8カ月余りのオーストラリア生活を経て「私帰ったばっかりだよ!」という思いが、無意識に完了形として口から出てきたのです。
”I arrived this morning.(今朝帰って来たよ)”という単純過去形も日本語では同じに見えますが、今日帰ったばっかりだよ!の気持ちが自然と完了形を選択したこの時。レベルが低いながら「生きた英語」が身についてきたことを、しみじみ実感したのでした。

【閑話休題】語学力は「生活がかかる」か「恋をする」と飛躍的にアップします
貧しい国を旅すると、外国人観光客相手に地元民が無茶苦茶な英語で、多種多様な営業をかけているのを目にします。もちろん私自身何度も食らいました。
まともな教育を受けていないであろう彼らは、文法など知ったこっちゃありません。それでも必要に応じて覚えた単語や言い回しを駆使して、十二分に会話が成立するからすごい。
なにせ彼らは、生活が懸かっています。お金を持っていて落としてくれる観光客を、取り込めるかどうかは死活問題。
必死で働いた結果、意思疎通が図れるだけの英語力が身に付くというわけです。

それに匹敵するレベルで、必死でコンタクトをとろうと試みる場面。それは母国語の違う相手に恋をしたときです。
好きな人のことを知りたい、関わりたい、自分のことを伝えたい。
その強い思いで五感は研ぎ澄まされ、語学力は一気に向上します。
私も当然そのゾーンに入っていましたから、それも先の完了形体得につながったのでしょう。
国際カップルの言語事情
ちなみに国籍の異なるカップルは、大抵「より相手を好きな方」が相手の母国語を習得する羽目になります。よって二人の力関係は一目瞭然。
加えてその話し方は、当然パートナーに似ます。日本人妻のいる外国人男性が、たおやかな日本語を話すイメージがありませんか?パートナーが異性だと、男性は女性的な言葉・女性は少々荒い言葉づかいになりがちなのは、少々注意が必要です。
まあそれはそれで、見ている側からは、とっても微笑ましいものですが。
お待ちかね!【ゲイ・パレード】

シドニー・ゲイ・アンド・レズビアン・マルディ・グラ(Sydney Gay and Lesbian Mardi Gras)は、毎年2月の第二木曜日にはじまり3月の第一土曜日に終わる「世界最大級のLGBTQ+カルチャーの祭典」です。犯罪とされていた!同性愛に対する抗議デモが始まりだったのだとか。
2004年3月6日(土)、フィナーレを飾るパレードが始まりました。
日が暮れたオックスフォード・ストリートに、きらびやかなフロート(山車)と数千人に及ぶ参列者が行進していきます。私はユミ・トモミと、トモミの韓国人シェアメイトたちと一緒に、数万人規模にもなる沿道の観客に混ざりました。
パレードには華やかなドラァグクイーンや女性カップルの乗ったバイクのほか、政治的なメッセージを掲げたプラカードを掲げる人たちも見てとれます。みなレインボーカラーに身を包み、観客にはカラフルなコンドームが配られるなど、セクシュアルなイベント感も満載。
小雨が降って少し肌寒かった記憶がありますが、国内外から招かれたトップDJが会場を盛り上げ、深夜まで熱気に満ちあふれていました。これぞシドニー!
ラウンド一番の感動がそこに【エアーズロック(ウルル)】
ゲイパレード観覧の興奮冷めやらぬ中、次なる目的地はエアーズロック(Ayers Rock)有するアリススプリングス(Alice Springs)です。
現地のバックパッカー向けバスツアーは予約済み。まずはシドニーからは空路でアリス・スプリングス空港へと向かいます。それにしてオーストラリアはつくづく広い。飛行機に乗りなれている離島出身の私ですが、3時間超ずっと眼下は見渡す限り陸地というのは実に新鮮でした。
①アリス・スプリングスってどんなところ?
ノーザンテリトリー(北部準州)にあるアリス・スプリングスは、オーストラリア大陸のほぼ中央に位置する都市です。どの大都市からも離れており、地理的に隔絶された場所になります。
私のとった空路の他、大陸縦断鉄道や自動車で向かうことも可能。
ウルル=カタ・ジュタ国立公園への観光拠点となっており、赤茶けた乾燥地帯アウトバック (Outback)が広がる地帯です。
②エアーズロックって何?

「世界最大の一枚岩」として認識されるエアーズロックはイギリスの探検家が発見し、当時の首相ヘンリー・エアーズ(Henry Ayers)にちなんで命名されたものです。
しかしそもそも発見なんておこがましい。先住民アボリジニたちにとっては、古くから信仰の対象として大切にされてきた場所です。そのため現在は、もともとの彼らの呼び名であったウルル(Uluru)と呼ばれるのが一般的です。
ちなみに実際に世界で一番大きな一枚岩は、西オーストラリア州にあるマウント・オーガスタス(Mount Augustus)で、ウルルは二番目です。しかし地質学的には、マウント・オーガスタは複数の異なる地層が堆積してできた「山」であり、ウルルのような一連の美しさもありません。見かけや知名度では、やはりウルルに軍配が上がるのは否めません。
ツアーには魔女がいた
さて私は友人のユミと二人で、バックパッカー向けツアーに参戦いたしました。
参加者は15名ほどでしたでしょうか。単独参加の日本人が二人いたので、自然四人でグループ行動する形になりました。そのほか確かドイツ人グループと、それ以外のヨーロピアングループという感じでしたでしょうか。
ツアーガイドは、若い男性と少し年配の女性のお二人。
ところがこの女性がなかなかクセつよで、我々日本人グループが指示を聞き洩らすと“language problems(言葉の問題)!”と厭味ったらしく言ってくるヘイトな奴でした。
まあその小さな反発として、その風貌(天パでアイシャドウが濃い)から、私たちは彼女を日本語で「魔女」呼びしておりましたが。まあしかしバス移動も食事休憩も、ワイワイにぎやかで楽しいツアーで、とってもいい思い出です。
何もない平地に、突如現れる一枚岩

渡豪を決めた際に「絶対に行く」候補として一番に挙げたのがエアーズロックでした。
テレビの特集をたまたま見て、アボリジニが世界の始まりと信じる「地球のへそ」ってどんなものよ?という好奇心で。とはいえシドニーでツアーを申し込む段階で、初めて「ウルル」と呼ばれることを知ったレベルでした。
そんなツアーで、車中では日本人仲間とおしゃべりも弾む中、ほぼ何もない平地を走り続けること数時間。ほぼ予期せぬ状態から、突然遠くに大きな赤い塊が現れたのです。
それまでひたすら山ひとつないアウトバックを走り続け、そこに突如として大きな物体(丘にしか見えない)が現れる。この自然の演出効果は想像以上でした。
近づくほどに大きくなるそれ(高さ335m周囲9.4km)は、表面全体がつるんとしており、改めて「岩」なのだと驚かされます。
観光地や景勝地に行くと、たいていパンフレットの写真より劣っているものですが。むしろ写真や映像では伝わらない迫力で、実物の方がはるかに素晴らしい稀有な場所でした。
ウルルは聖地!
なんとウルルは登山が可能とのことでした。
大きな岩とは言え、「登山」には小さい丘のように思えます。ところが拓けた場所で高いところに行くわけですから、突風などによる滑落事故が定期的に起こるのだとか。毎年のように死亡事故も起きている、と事前説明がありビビりました。でもみんな登山を楽しみにしていました。
そうしてツアーバスから降りる前に、各々の母国語で書かれたパンフレットが配られたのですが。
日本語のそれを読むと「ウルルはアボリジニにとって聖地である」こと、そして「ここでのツアーは彼らの収益にもなるため、あくまで観光客の意思にゆだねるが、本来彼らはここに人が登ることを望んでいない」という趣旨の説明がありました。
これは私には衝撃でした。
私の出身である奄美や沖縄には「御嶽(うたき)」と呼ばれる聖地がたくさんあり、そこはユタ(選ばれた巫女)しか入ることはできません。地元の一般人は禁止も何も、そもそも畏れ多いので入りません。
その感覚が根付く私に、彼らの本音は刺さりました。
何を海外だからと浮かれてるの私、聖地に入るなんて世界中どこでもダメに決まってるでしょ!
しかし私以外のツアー参加者はみんな「せっかくだから登ろう」という雰囲気でした。うう…私だけでも辞退しよう。
そんな私の呪いか、その日は規定の風速を超えたため登山は中止となりました。
まるでナウシカの世界!カタ・ジュタ(Kata Tjuṯa, Kata Tjuta)
登山はできなかったものの(ホッ)、裾野に近づいて見上げるだけで圧巻のウルル。
乾燥地帯は常に快晴ですので、遠くからでも近くからでもその姿は美しい。私たちだけでなく、ほかのツアー客や観光客も大勢いましたので、皆感嘆の声を上げながらシャッターを切り続けていました。もちろん私もたくさん撮ったはずですが、写真データは皆無。なぜ!?残念すぎる…。
そしてお次は、すぐ近くのカタ・ジュタへ移動しました。一般にオルガ山(Mount Olga)と呼ばれる巨岩群で、その岩肌はウルルとそっくりです。
それもそのはず、なんと地中でウルルとつながっているのだとか。地球ってすごい。
それにしても下の無料画像と同じ場所をバックに、写真を撮った記憶がめちゃくちゃあるのですが。なんで見つからないの~。

さらにこの場所には、日本人驚嘆ポイントがあります。巨岩の間にビル風のような気流が生まれるため、この一帯は「風の谷」の通称を持ち、「風の谷のナウシカ」の世界観そのものなのです。
実際にモデルにしたかどうか、ジブリ自体は否定も肯定もしていないようなのですが。原作ファン(原作は全7巻、映画はその2巻前半くらいまでの内容です)でもあった私は、タスマニアのホバートに続くリアルジブリに、ただただ感激いたしました。
爆発寸前の恋心
荒涼とした星空の下で
さてタスマニアで彼と再会を誓う電話をして早1週間。
といってもそこから特に進展はなく、これまでのように何気ないテキストメッセージが日に1~2度来る程度でした。
むしろ、連絡が取れなくて一度盛り上がった後は、沈静化した感じにモヤモヤもしておりました。
そしてアリススプリング最後の夜。翌日シドニーに戻れば、そこから先のスケジュールは白紙です。そのことを踏まえて、彼の意向を確かめるべく電話をかけることにしました。
荒涼とした乾燥地帯の宿ですから、外は普通に満点の星空です。そんな空を見上げながら、その美しさに胸を打たれる以上のドキドキを胸に、電話をかけます。
すぐに応じてくれた彼のご陽気な声を聴いた瞬間、会いたくて仕方ありません。

多忙な社会人の彼VS自由な旅人の私
「近いうちにパースに行きたい、いつなら都合がいい?」彼は少し困りながら”Bad timing.”と答えました。
ずっと連絡をとっていたから知っています。彼が私に会いたくなくなったわけではありません。劇的に忙しくなったのです。
彼は人生設計を立て直すべく、父親の事業継承や資格取得に追われていました。私たちが出会ったのは、その忙しい時期に入る前の準備段階で、たまたま彼に余裕があった時期でした。
しかしこの時の彼は、大きな資格試験本番を一つ1週間後に控えている状況。その数日後には、父親と長期出張でパースを2~3か月離れる予定でした。そりゃあ暇人の私が押し掛けてくるのは最悪のタイミングです。
本当はその出張先でタイミングが合えば会おうね、なんて話もしていたのです。
けれど一通り旅の予定を終え完全フリーとなった私は、いつになるかわからないその時を待てませんでした。
私がこんなに会いたいのに彼は煮え切らないとも感じて、意固地になったのもあるでしょう。多忙な彼と温度差が生じるのは、至極当然だと頭ではわかっていたのに。
「忙しいのはわかっている。ずっと一緒にいなくてもいい。だから来週にでも行きたい」そこまで言えば、彼が“No”と言えるはずありません。「わかった、いつでもおいで。楽しみにしているよ」そう言わせることになります。
【再びパースへ】急いた恋は一見順調
思い返すほどに、自分のわがままな行動には反省しかありません。
けれどこれは私にとって、大人になって初めての恋。経験値は浅く余裕もなく、視野の狭さから性急になるのは避けられないことでした。
彼の状況を思いやって気長に向き合う覚悟があれば、彼も時間をかけて真摯に関係を築いてくれただろうと、今ならわかるのですが。
いずれにせよ、回り始めた歯車は止められません。彼に会うためだけに向かう5時間のフライト中、私の頭の中は完全にお花畑でした。
味方のレイナがそばにいる最後の夜
まさかのシェアハウスへ
私がパースに戻ったのは、Aを紹介してくれた友人のレイナが帰国する前日でした。
ということで、空港にはAとレイナが二人で迎えに来てくれました。
Aに会いに戻ったとはいえ、久しぶりに会ったレイナとは車中からガールズトークが止まりません。それをAが横でニコニコと見ている。そう、コレ!幸せすぎます。
ところでその晩はなんと、Tの家でパーティとだと言われたのは驚愕でした。レイナとラブラブだったのに、年上の日本人女性の彼女が別にいて、鉢合わせさせた修羅場の現場ですよ?
しかしたくましいレイナ、友人宅を引き払ってすでに荷物も移してあるといいます。え?泊まるんだ?
Tのことは「無視するし平気~」とレイナは言いますが、いくらやらかした元凶とはいえ彼は家の持ち主です。いいのかなあ。
私はさすがに宿をとっていたので、チェックインのため一度寄り道します。
Aは「今夜はどうせうちに泊まるのに…」と不服そうですが、私はTの家にずっといたくないし、Aともずっといるわけではないので、拠点はもっておく必要がありました。
ただ実は、後日Aのお兄さんの家に泊めてもらえることにはなっているのですが。その話はさておき。約ひと月ぶりに、彼らのシェアハウスへ到着です。
オージーゆるいな!
家に着くと、リビングで一人Tがテレビを見つつ飲んでいるところでした。
私は挙動不審気味に一応Tに挨拶をしますが、彼は黙って微笑むだけです。
レイナはかまわずスタスタ入って自分のもとの部屋に行くし、Aは「自分の友達ももうすぐ来るからね」とニコニコしています。
気まずいの私だけ!?
Aの友達Pがやって来るころには、Tは出かけたのかいなくなっております。
いいのかなあ…と申し訳なく思いつつ、リビングでメンツがマイナーチェンジした4人の宴が始まりました。
Pはなんと昨日彼女と別れたばかり!だという傷心のイケメン君。気晴らしにとAが今日誘ったそう。しかしさすがは類友で、明るくてややチャラい。でもいい人そうではありました。
Aは「今日のレイナの相手だよ~」と陽気に言いますし、レイナも「最後の夜にいいかも♪」と喜んでおります。まあみんな楽しそうだからいっか。
待ちに待った彼との夜なのに
4人で楽しく飲みかわし、宴たけなわ。Tが私を自分の部屋に誘います。
ニコニコしながら私を押し倒す彼に、私は「ごめん、今日できないんだけど…」と告げます。実はその日私は生理二日目で、いつ言おうかと思っていたところでした。
彼は真顔になって「なんで?」そして察すると「まじか…」と落胆してリビングに戻ります。
これはしっかりご無沙汰でほかのオンナとやってないって証拠?と思いつつ、私はヤリ目か?とちょっとムッともしました。
というわけでレイナと彼女の(元)部屋に行って、二人でベッドに寝ころびながら愚痴ります。
一方肉食美女レイナは「Pかっこいいな~」とそっちに夢中。
そこへAが、なぜかビデオカメラを撮影しながら入ってきたので「あっち行って」と追い払います。Aは恨めしそうに一度部屋を出ますが、再度部屋に戻って来て、私に「(自分の)部屋に行こう」とちょっかいを出してきました。
かわいいな…と思いつつ、まだちょと焦らしたい。レイナも連れてリビングに戻ることに。
再度4人の宴、とはいえみんな段々眠たくなってきた時分。Aに促されて、Pはレイナのベッドへ行きうたたねし始めました。
”Make love”はオーストラリアで“Have a fun”?
ところでオージーガイが女性をベッドに誘う、実にゆる~い表現があります。それは“Have a fun.(楽しもうよ)”
いけるかな?という相手や、カジュアルな関係で使う言葉ですが。
知り合いの日本人の女の子は、真面目そうなオージー青年と知り合っておしゃべりをしていたら、二人っきりになった瞬間にこのフレーズをぶっこまれてかなりショックを受けていました。
奴らにとっては「お茶する?」「飲み行く?」とほぼ同列の「しようよ」的な軽い言い回し。
でもさすがに大抵の日本人女子は、これを言われると「なめられてる」と我に返るんです。
日本に帰って友達にこの話をしたら「キットカットか!」と突っ込まれましたが、まさにその通り。オージーにとって、セックスはキットカットと同じレベルでしたね。
ちなみにシドニーではバイト仲間だった日本人男子が、電車で会話が弾んだオージーガイにさらりとこれを言われ、速攻で下車して逃げ帰ったと語っておりました。
ところでAは、私といい感じになると「ベッド行こうか」と必ず手をつないで移動する手練れです。しかし仮眠しているPを「襲っちゃっていいかなあ~」とはしゃぐレイナには、手を払うように“Have a fun!”と追い立てだしました。やっぱこの人もオージーだわ。
でも私には言ったことないのが好感度高いのよね。ずるい。
“terrible”が二人の隠語に
眠たくなった私は、Aの部屋へ行きベッドに寝ころびました。
レイナが無事Pを夜這いに行き(もちろんhave a fun)、私が眠りに落ちた直後。Aがキスをしてきて目が覚めました。寝ぼけながら”I can’t.”と言うも、Aは“I know.”と言いながら愛撫を続けます。
大好きな人とやっと会えて、私だって彼に触れたくてたまらない。というわけで、普段とは少々異なる行為(詳細は省く)に及びます。
そうして泥のように眠りにつき、朝目覚めると。彼は目が合ったと同時に”I was terrible!(俺サイアク)”と謝ってきました。その率直さが愛しすぎる。
全然気にしてないよ~と返すと、彼はしっかり”But you were terrible,too.(そっちも相当だったけど)”と付け加えます。”なんですって?と言い返しつつ、私は爆笑してしまいました。
Pは早朝帰宅したので、リビングで早速レイナと報告会を開催。
私たちがかなりあけすけな内容を話しているのを承知しているAは、”She’s terrible.”と私のことを指さします。私は笑いながらレイナに説明。
そして私とAの間で、”terrible”は「みだら」とか「エロい」といった符丁になりました。
アホな内容であれ「二人の言葉」ができるのは、恋愛の醍醐味ですよね。
レイナを見送って
そんな楽しい朝もあっと言う間に過ぎて、レイナを空港へ送る時間になります。
前回の空港ではレイナが私を見送りましたが、今度はその逆。Aがレイナのほほにお別れのキスをした後、私は彼女と長いハグで互いの健闘を祈りました。
そうして搭乗ゲートへ進む彼女を見届けると、帰りの車で私は本当の意味でAと二人きりになります。
Aは心得たもので「レイナが去って不安でしょう」と言いました。そう、勢い込んで彼に会いに来たのに、私は味方がいなくなったようで心細かった。
レイナという最強の友がいたから、Aと過ごせる時間をどんなに気楽に楽しめたか。彼はそんな私の小心も見抜いていました。
”I won’t kill you.(君を殺したりはしないよ)”冗談交じりに、自分が味方だと伝えてくれる彼。
本当に私を殺さないのよね?
そうしてそこから、私は改めてAと二人の関係を見つめ直すことになります。
一人だと切ない、二人なのに寂しい
初めてのデート
その日から3日ほど、Aは仕事と試験の勉強で忙しくなりました。
彼は申し訳なさそうですが、そもそも事前に承知で押しかけたのは私です。
それでも1日は彼のお気に入りのカフェへランチに連れて行ってくれて、小一時間過ごしてくれました。彼と並んで歩いて、お店にエスコートしてくれて、ご馳走してくれて。二人だけでちゃんと外出したのは、結局この時が初めてでした。彼が「デート」に連れて行ってくれたという気持ちが何より嬉しかった。今も大切な思い出です。
彼がいないと空虚な時間

行こうか悩んでいた動物園まで、彼が仕事前に車で送ってくれたこともありました。
忙しい時間をぬって、無理をしてくれたことでしょう。でも動物園を散策していると、なんで私一人でいるんだろう?という気持ちになって、まったく楽しめませんでした。
その後も観光する気も起きず、宿でぼんやり過ごすことに。
今までのように新たに誰かと仲良くなろうという気力もなく、ネットカフェでメールをしたり友達や家族に電話をかけたりする以外は、ただ彼の連絡を待って一人で過ごす状態でした。
そうして4日目、今夜はゆっくりできるよと彼が迎えに来てくれることに。
その連絡をくれた時「娘と一緒だけど会いたい?」と聞いてきたので、私はドキドキしつつ「もちろん」と答えました。
娘さんに紹介?のはずが
その日の日中、Aは娘さんと過ごしていました。別々に暮らす娘と定期的に会うのは、もちろん彼の大切な時間です。
生まれ育った町で普通に日常を送る中、忙しい時間を割く先は私だけではありません。
それでも私は彼だけなのに対して、彼には私以外に私以上に大事な存在がある。わかっていても正直寂しい思いがありました。
けれどそんな大切な娘を私に会わせる気持ちがある。それは私のことも、ちゃんと大事な存在だという表明ではないですか。
しかしいざ家に着くと誰もいません。「あれ?娘ちゃんは?」と聞くと「母親が迎えに来た」とのこと。
どこかでホッとするのと同時に、結局私は彼の人生に関わりのない、ただの旅人ってことなのかとガッカリもしました。
でも明らかに疲れている様子なに、私と二人きりの甘い時間を作って、優しく抱いてくれる彼。不満を言えるわけがありません。その日だって昼間娘と会った分、夜は私のために空けようとしてくれたはずです。
今思えば、趣味の時間をあきらめ、睡眠だって削っていたんじゃないでしょうか。
トキメキと不安と
彼の運転する車の助手席にいると、サル顔ながら高い鼻にサングラス姿の彼はきまっていて、いつだって見ほれたものです。その頃はよく仕事の電話がかかっていて、ビジネスモードで電話を出る彼がかっこよすぎて惚れ直したりもしました。
そんな車中、ラジオで流れてきたDidoの”Who Makes You Feel”に「この曲いいよね」と彼が言い、私のトキメキは最高潮に達します。
ラウンド中に買ったヒット曲のオムニバスCDに、『ロズウェル/星の恋人たち』の主題歌Didoの『ホワイト・フラッグ』が入っていて、気に入った私はそれが収録されたアルバムを買って聞き倒していました。
ラジオで聞いたのは、その中でもひそかに彼を思いながら繰り返し聞いていた、アルバムで一番好きな曲だったのです。
誰があなたを、私がさせるような気持ちにさせる?そんな歌詞が私の気持ちにリンクして。
運命を感じた私の気持ち、わかりますよね?
そんな妄想気味のところに、彼はこともなげに「それで、今のビザが切れたあとは、どうやって残るの?」と問いかけ、私は現実に引き戻されます。
その時点で3月後半に入ったところ。私のビザは6月末まで。4月でビザの切れるユミは、彼氏と離れたくなくて、スチューデントビザで残ることを決めていました。でも私はそれには資金繰りが厳しくて、どうしようか途方に暮れていたのです。
それでも彼がこう言うのは、私が彼のために「オーストラリアに残るはずだ」という前提かつ私を受け入れている意味合いのものです。
でも当時の私は、どうしてヒトゴトのように言うの?という不満もありました。「残るとは決めてないけど」ちょっといじけて言うと、彼は困ったように黙ります。
なんて大人げないのでしょう。
私は彼のために、もっといろいろな努力ができたはずなのに。するべきだったのに。
腹違いの兄という存在
姉と弟がいるとは聞いていたけれど…
彼自身が暮らす故郷パースでは、両親の暮らす実家があり姉と弟がそれぞれ所帯をもっていました。ところがある時、実はケアンズに兄がいると聞かされます。
当時35歳だった彼の兄Bは40歳。Aの父親の、最初の結婚相手との子どもでした。
初めて会ったのは、Aが15歳Bは20歳の時だそうです。一人っ子として育ったBは弟妹に会えてことを大いに喜び、Aもまさか兄がいるなんてと嬉しかったのだとか。それから頻繁に連絡をとり、定期的に会合するようになりました。
なぜ彼の話が出たかというと、私がパースに戻る際Bはパースに移住することになっており、かつ彼はある日本人の女の子に恋をしているから、その手助けをしてほしいということからでした。
私といるとき兄からかかって来た電話に「今ジャパニーズ・プリンセスと一緒だよ」と笑っていたので、もちろん彼にも私のことを前もって話しているのでしょう。
兄は全然似てない!
件の資格試験本番翌日、私はついにその兄に会わせてもらうことになっていました。
勉強の邪魔をしまくった私は、迎えにきた彼に恐る恐る「試験どうだった?」と聞きます。”Not excellent, but OK.”と笑顔だったので、一応合格ラインは超えた手ごたえがあったのだろうと一安心。
そうして待ち合わせに現れたBは、Aと似ても似つかないのでびっくりしました。180㎝で細身のAに対して、Bは160㎝台の中肉中背で髪も薄い。
失礼ながら?思わずアーノルド・シュワルツェネッガーとダニー・デヴィートの映画『ツインズ』(Twins)が頭をよぎります。
自覚しているAは大笑い「似てないでしょ?」はい、まったく。
見かけだけでなく中身もかなり違います。Aは名門大学卒のホワイトカラーでスポーツ万能、多趣味で器用なハイスペックのプレイボーイ。
一方Bは高校卒業以来ずっと警備員として働いており、長年続けている空手だけが実益を兼ねた趣味。23歳の時一度結婚して娘がいるが2年ほどで離婚、それからずっとガールフレンドもいないということでした。
職業や学歴や見た目で差別するわけではありませんが、腹違いにしてもちょっと差がありすぎませんか。
でも笑顔は似ている
その後海沿いの人気レストランにて、フィッシュ&チップスのランチとともにBの話を聞きます。
こんなに違って、コンプレックスはないのかしら?という私の心配は杞憂でした。
終始ニコニコしてAや自分のことを話すその言葉の端々から、BはAのことが自慢でかわいくて仕方がないのが伝わってきてほっこりします。
Bはお母様を亡くされており娘は離れて暮らしているので、ケアンズでは天涯孤独の身の上。しかし勤めていた警備会社系列でパースに働き口が確保できたので、思い切って兄弟や父親のいるパースに移住することにしたそうです。それはすてき!
パースでは2ベッドルームのコンパクトな一軒家を購入済。オーストラリアでは、土地が広いせいか税金でも優遇があるのか、みんな割と簡単に一軒家を持っている印象です。
その日から私はそこに泊めてもらうことになっておりました。
ところで背格好や顔立ちも異なる二人ですが、笑顔がとても似ていることに気が付きました。目の形がそっくりで、同じグリーンアイだからか!と納得。
きっと二人のお父様が、同じ目をしているのでしょうね。
恋の予感に浮き立つBだけれど
ところでBは今回の引っ越し前に、ケアンズである日本人の女の子と知り合ったのだそうです。
知人を交えて出会った後、二度ほど二人で出かけたのだとか。謎にBが彼女をお姫様抱っこしている写真を見せられましたが、よく日焼けした長身でスレンダーな女の子でした。
「ただの友達だと思ってたんだけど、ほっぺにキスしてくれたんだ」と、どうやらそれで舞い上がってしまった様子。
彼の幸せを願ってでしょうが、Aも「絶対彼女気があるよ」とあおります。
いや~キスとか、ただのノリじゃないかな…。海外ではっちゃける日本人女子の心情が分かる私は、どう反応してよいものやら。
Bは、彼女に日本語を混ぜたラブレターを書きたいらしく、その添削をして欲しいと言います。まあそのくらいならと承諾しますが、私はフツーに嫌な予感しかしません…。
実はイースターホリデーでシンディがケアンズに
語学学校で私の娘と化していたスイス人のシンディ。
なんと彼女は、イースターホリデーにケアンズに戻ってくることになっていました。親身だったホストファミリーが、再度受け入れてくれるということで。
そのため4/10には私もケアンズに戻ることを、だいぶ前に約束しておりました。
そのことはAにも話していたので、Bはその時私に意中の彼女に直接会って手紙を渡しつつ、彼をどう思っているのか聞いてきてほしいと考えていたようです。
好きな人の大切な家族の希望ですから、こちらもやぶさかではありませんが。いい返事がもらえる可能性はすこぶる低いだろうな~と言う点で、ちと気が重いのが本音でした。
そして私の恋の行きついた先
確実に迫るお別れの日
彼の旅立ちは明後日
試験を終えひと段落したかに見えるAですが、実はそこからが本番でした。
彼はその翌々日には、例の長期出張へ旅立つ予定でした。なので彼はその前に、私をBに預けたかったのです。
Bは新しい職場の仕事始めまでしばし休暇中でしたが、まだこの土地には馴染みもありません。AはこれからBを手助けできなくなることも、気になっていたはずです。
ユカは自分のタイミングで、ケアンズに戻るまでそこでゆっくりしたらいい。そういう彼は、しばらく私たちが一緒にいられれば、いろんな意味で安心だったのでしょう。
Bの家へ到着し、Bが部屋へ行ってAとリビングで二人きりになると、彼はおもむろに私に近づいて携帯で(ガラケーの画像があらい)写真を撮り始めました。笑顔で向かい合ってたわむれるけれど、お別れのカウントダウンは始まっているのをひしひしと感じます。
せっかくまた会えたのに。私は不安と寂しさで胸が押しつぶされそうでした。
トモミがやって来た!
友人のトモミはその頃鉄道旅をしていたのですが、私がBの家にお世話になることになった翌日、パースに1泊することになっていました。
彼女を泊めていいか尋ねると、もちろんBは二つ返事です。
というわけで昼過ぎに、Bの車で駅へトモミを迎えに行きました。仮にも若い女子二人、しかも思いを寄せる女性と同じ日本人です。Bはわかりやすく嬉しそうで何より。
夜はAが訪ねてくることになっていたので、トモミと二人でお好み焼きを作ることにしました。語学学校時代から折に触れて、お好み焼き&焼きそばパーティは定例でしたので。
材料の買い出しや準備を、Bはずっとニコニコして付き合ってくれます。
それにしてもレイナがいなくなってから約一週間。久しぶりに日本語の会話ができるのと、友達がそばにいてくれる心やすさで、ホッとするのと同時に、私は気が抜けて不安定になってもいました。
私の料理は特別!?
我ながらメンドクサイ女なのですが、私は「女性は料理をするもの」という当時の固定観念が嫌いすぎて、まわりの男性には「料理は一切しない」というスタンスをとっておりました。
実際は両親共働きの姉ですから、家事全般子どもの頃から一通りしていましたし、一般的な料理は高校生の時には大概作れていましたが。
Bの家へやって来たAは、料理ができないはずの私が「お好み焼きを作って」いたことに驚きを隠しきれません。まあトモミと一緒に作っていますし、日本人にとってお好み焼きは、料理っていうほどのモノでもないですが。
実は彼が日本にいた時、お好み焼きが大好きだったというのも聞いていたので「サプラ~イズ」でもありました。だって彼と過ごせる、最後の夜ですから。
Aの姉が妊娠中で
実は少し前にAのお姉さんの妊娠が判明していました。そこでAはこの後、家族の集まる実家のお祝いに顔を出して、そのまま泊まって明朝7時には出発する予定でした。
余談ですが当時26歳の私は「35歳の彼の姉」の妊娠を聞いて「そんな年で妊娠するの?高齢出産だけどお祝いして大丈夫?」と思っていました。若さは時に、無知と傲慢の同義です。
某アーティストの若かりし暴言が、きっと今ブーメランとなっているように、私も自分に冷や汗が出ます。まあ当時は、今のようにアラフォー出産が当たり前でもなかったのは事実ですが。
さてお好み焼きパーティで大いに盛り上がったところで、彼はいったん実家へ運ぶ荷物を取りに行くために、中座することになりました。「一緒に行く?」と誘われたので「うん!」と喜んで二人で抜けます。トモミは「先に眠っとくね~」ということで、私は彼と車で家を出ました。
私の本音と、彼のずるさ
“beautiful”の本当の意味
Aは出会った当初からずっと、会っている間中”You’re cute.(かわいいね)” ”You’re pretty.(きれいだよ)”と何度も繰り返してくれました。
でも一度も”You’re beautiful.”と言われたことがないのが、ずっと気になっていたのです。
渡豪直後から男性全般には、挨拶レベルで言われてきたはずのフレーズ。
そもそも私はちゃんと知識として、beautifulはただ「キレイ」じゃなく「内面も包括した存在すべての美しさ」を愛でる言葉だということは知っていました。でも実際には、ネイティブの男どもはこの言葉をじゃんじゃん安売りしています。
しかしAは、本来の意味合いにこだわってるんだろうなと薄々感づいてはいました。
ある意味彼もなかなか、メンドクサイ男なので。
そこでジャブのつもりで”You’re beautiful.”と ”You look beautiful.”ってどのくらい違うの?と聞いてみると”much different.(大違い)”と即答されました。
後者がただ服装などの「見た目だけの美しさ」を指す(おしゃれした時などに褒める)と、本当は私もちゃんと知っていたのですが。
しかしさすがにすぐ、私の質問の意図に気づいた彼。「僕はbeautifulって全然言わないでしょう。これは特別な言葉だから、めったなことでは使わないようにしているんだよ」と言ってきました。でしょうね。
つまり私はまだ特別じゃない。いつか言ってくれるといいな。
日本人女性との過去
もう一つ気になっていたのは、彼が日本人女性と「つきあった」ことがあるかということです。
何人かとベッドを共にしたのは間違いありません。ただ寝ただけなら、何人だろうと構わない。でも一人でも交際に至ったことがあるとしたら別の話です。
彼と過ごしたある朝、彼は私に「ハジメテガイジン」と嬉しそうに謎の日本語を言い放ちました。一瞬きょとんとしましたが、ああ、自分が関係をもった初めての外国人男性でしょって言いたいのね、と苦笑。
そんな私を見た彼は、“No!I’m notハジメテ?”と真顔になり「どこの国の人?まさかオージー?」と聞いてきました。私は”You are ハジメテ♪”とごまかして笑うと、”You are a liar(嘘つき)!”と言いつつ彼も笑います。
ただそこでお互いこのことには触れないのが暗黙のルールになりました。私は私で彼の、日本人女性との過去も聞きづらくなります。
まあこんなバカげた日本語を覚えたシチュエーションを考えれば、相当親しい女がいたのでしょうけどね。でも実際聞いても気分悪いだけだですし、この時点では、まあ聞く必要もないかと。
今それを言うの
彼と車で二人っきりになり、行きは楽しくじゃれあっていました。
しかし家に戻る道すがら、私はついにすべての不安がせき止められなくなりました。
「日本にいた時、日本人のガールフレンドがいたの?」「確かにいたけど、もう関係ないよ」
「この次私たちいつ会えるの?」「この出張が終わったら、ゆっくり時間作れるよ」
「でもビザが切れるのに、私はどうすればいいの」家に着くのと同時に、私は号泣してしまいました。彼は車を停めると、降りて私を抱きしめてくれます。
私は彼の腕の中で涙が止まらず、どうしていいかわかりません。
すると彼は言いました。
”You’re beautiful.”
今それを言うの?
友と兄を巻き込む暴走の末に
いったん涙が収まったので、私たちはBの家へ戻りました。
しかし翌朝Aは長距離運転しなければいけないので、もう帰る時間です。
笑顔で、送り出さなきゃ。
ところが部屋から出てきたトモミを見た瞬間、引っ込んでいた涙がまたあふれ出しました。トモミに抱き着いて「嫌だもう辛い」と泣きじゃくる私に、Aは家を出ることができなくなります。
Bも困っていますし、本当は「ごめんね、もう大丈夫だよ」と私が言わなきゃいけないのに、それができない。
もう一度私と話そうとするAと、私は部屋に二人で入ったのですが、支離滅裂な私は
”Leave me alone,Ihate you.(ほっといて、大嫌い)”
と言ってしまいました。もちろん本気ではなく、甘えです。
しかしその瞬間、彼の中ですべてが終わったのでしょう。
彼は私のもとから永遠に去りました。
覆水盆に返らず
そのまま彼は「彼女は自分のこと嫌いみたいだから、もう行くね」と、兄とトモミに言い残して家を出たそうです。
車の音にあわててリビングへ行くと、二人が気の毒そうに私を見ました。
私は急いで彼に電話をかけますが、出てくれません。
「ごめんなさい、そんなつもりじゃなかったの、戻って来て」テキストメッセージにも返事はありません。
パニックになりながら思います。あんなに私のワガママに寛容だった彼、きっと許してくれるはず。
しかし同時に、潔癖なところがある彼は一度拒絶したものをもう一度受け入れるのは無理だろうと本能的にわかってもいました。
その晩は一睡もできず、泣きながら迎えた夜明け。彼はちゃんと眠れただろうかと申し訳なさが募ります。彼が出発するといっていた時間に「気を付けてね」とテキストメッセージを送りますが、もちろん返事はありません。
今冷静に振り返ってみても、私がいかに自己中だったか恥ずかしく思うだけです。
そうして三日間、Bの家で呆然と過ごした私は、リビングにいる間、見てもいない彼の去り際の姿が何度も何度もフラッシュバックしました。そして逃げるようにシドニーへ戻ります。
次回は失恋後の日々と帰国まで、そして後日談をお話しさせていただきます。


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