ヨガをしてみたいけれど、いったいどんなものだろう。
始めてはみたけど、体もかたいし続けられるかな…
私はインストラクターではありません。
でもヨガ歴はかれこれ16年になります。
趣味というより人生の一部であり、私をかたちづくる大きな要素になっています。
だから私はヨガについて語れます。
専門家ではないので、あくまでヨガを愛する一個人の、経験や思いについてですが。
ヨガに興味をもった誰かが、この世界を知るきっかけになれば嬉しいです。
90年代の「ヨガ」のイメージ:ヨガに出会うまで
そもそも私たちの世代にとって、「ヨガ」といえばかなり「ヤバい」代物でした。
ヨガ=オウム真理教。サリン事件(1995年)を起こしたテロリストが行う、何やらあやしい行為。
当時高校生の私も、心底そう思っておりました。
それが払しょくされた最初のきっかけが「ダーマ&グレッグ」という海外ドラマです。
大学生の時、夜中に放送されていたそのドラマにドはまりしました。(ちなみに人気ドラマ「ビバリーヒルズ高校生白書」の後の番組でした)
ヒッピーの両親をもつ破天荒な主人公ダーマと、上流階級出身のエリート弁護士グレッグが、出会ったその日に恋に落ち、電撃的に結婚してしまうラブコメです。
そのダーマが超絶かわいかった。
長身でスレンダーなモデル体型の金髪美女がみせる、天真爛漫な笑顔がまあチャーミング。
そのダーマの仕事が、ヨガインストラクターでした。
あらヨガって、宗教の修行とかでなく、エクササイズ的なものなの?こんな心身ともに魅力的な女性をつくるものなのかしら?(実際に彼女自身がヨガ講師ではありませんので、その美貌がヨガの効果が定かではありませんが…)
2000年代になると、海外ではセレブ達が美容の一環としてヨガを取り入れていることが、話題になってきました。それでも日本国内では、まだまだ嫌悪感に近いものをもたれていたのが事実でしょう。
そもそも海外のそれも一過性の流行で終わるのでは?という見方もありましたが、予想に反しヨガは着実にその地位を確立していきました。そして日本でも徐々に、ジムのレッスンに取り入れられたり、おしゃれな教室ができたり、その存在感を示し始めたのです。
とはいえ私自身まだその時点では、まったく自分には関係のない出来事でした。
そして時は流れ。
2008年ヨガとの遭遇:最初の恩師
31歳のとき、私は手痛い失恋をしました。6歳年下のめたくそ男前のクズに、二股かけられて捨てられるという、死ぬほど屈辱的な目にあったのです。悲しいし悔しいし、心が真っ黒に焦げつくように苦しくて。ごはんが食べられず眠れず、1か月で5kg近く体重が落ちました。
そんな折、何かで「ヨガには心を落ち着ける効果がある」というのを目にし、そっかダイエットとかだけじゃないんだ…でもやっぱり怖いな、と半信半疑ながら、にわかに興味を持ち始めました。
そして教室を探し始めると、すぐ近くによさげなヨガスタジオがあることに気づいたのです。早速体験レッスンを受講。するとまあ先生が素敵だった。
確実に年上なのに、肌がつやつやの美人さん。全体的に細身ながら見事な筋肉質で、キュッと小さく引き締まったお尻はもはや芸術的。ダーマにせよ先生にしろ、ヨガはやはり美しさの源に違いない!と確信。すぐさま週1回のレッスンを申し込みました。
私はスーパー人見知りで、ほかの受講生と交流をもつことは基本的になかったのですが。ある時レッスンで一緒になった方が、「先生の美の秘訣はアーユルヴェーダらしいよ」と耳打ちしてくれたのです。なんてこと!インドの奥義じゃないですか。もう興味津々です。
この先生、元は大手化粧メーカーの美容部員らしく。体調不良をきっかけにヨガに興味をもったのだとか。10年ほど前に退職してインドに勉強に行き(おそらくアーユルヴェーダも学ばれ)、ハワイでインストラクターの資格をとったという、当時まだめずらしい本格的なヨガ講師でした。
先生がヨガを始められた時分といえば、まだまだ日本ではヨガ=オウムの時代です。その時に始められただけあって、強い信念をお持ちだったのでしょう。技術・知識をお持ちなのははもちろん、それを体現できている方のように感じました。
お手本で見せてくださる動きが、いちいち美しい。腕の伸ばし方、目線の向け方。茶道の所作のように、華麗なダンスのように。
指導もロジカルで丁寧でした。基本的な「ハタヨガ」の初心者クラスでしたが、その他のヨガの種類についても折に触れて教えてくださいましたし、新しいポーズを行うたびに、動きや呼吸法だけでなく、その意味についても説明してくださいました。
例えば、ほとんどの方が手始めに覚える「下を向いた犬のポーズ」。先生は「これは内省のポーズだから、目は開けていてください」とおっしゃいました。あれから何千回、いえ何万回。私はこのポーズを行うたびに先生の言葉を思い出し、その都度自分を顧みるよう心掛けています。

思い返せば、レッスンのたびに感銘を受けたものです。
私たちが中高生の頃といえば、まだまだスポ根精神が息づく時代。運動は自分を極限まで追い込んでこそ成長あり。ダイエットは我慢に我慢を重ねれば、その対価として減量が許されるもの。忍耐・辛抱こそが美徳。
ところがヨガはそうではないというのです。「きついな」という一歩手前まででOK。自分が「気持ちいい」と感じられるのが正解。そんなことであの美しいお身体が手に入るとでも!?
しかしよくよく先生レベルは、ヨガの動きを一日に何度も繰り返しますし、長い時間行い続けます。息を切らして汗をだらだらかいて、ということはなくとも、相当カロリーを消費するはずです。強い体幹なくしてはなしえないポーズも多いので、体が引き締まるのも納得。
それでもアスリート的な、ストイックな鍛え方とはどうも違うところが、新鮮でおもしろいじゃないですか。
ヨガのすべてのポーズにおいて、大事なのは完成形ではなくその過程です。自分の心と向き合い、体と対話し、その両方を整えていく。なんなら最終的なポーズにはたどり着かなくても、呼吸を含めた一つ一つの動きを丁寧に行う、その流れこそが肝要なのです。
また難易度の高いポーズ以上に、実は座って目を閉じるだけの瞑想が、とてもとても奥深いこともわかってきました。そもそも、もとは仏教(あるいはそれ以前の宗教)で、瞑想の際に長く一つの姿勢をキープし続けるために、心身を鍛えたことがヨガの起源。つまりヨガの先にあるのが瞑想ですから、容易であるはずがないですよね。
同様にシャバ―サナ(屍のポーズ)というものがあります。一度でもヨガのレッスンに参加したことがあれば、必ず最後にしているはずです。屍のように、ただ横になり全身の力を抜くだけ。これが簡単にはできません。でも1時間あらゆるポーズをこなしてきたあとのご褒美のように、すごくすごく気持ちがよいものです。
このようにヨガの在り方を知れば知るほど、驚きとともに、そのすべてがスッと私の中に組み込まれていく感覚に心地よさを感じていました。
今でこそヨガ講師は巷にあふれ、YouTubeチャンネルの配信をされる方もたくさんいらっしゃいます。マインドフルネスなどといった、瞑想や哲学について詳しい方もたくさんいらっしゃいます。それでもあのように理解されて、指導できる方は今でもあまりいらっしゃらないのではないでしょうか。
最初に出会った先生が彼女だったことが、私がずっとヨガを続けてきた最大の理由だと思っています。
さて、私がここまで崇拝している先生なのですが。
レッスンを受け半年ほどたったころ、クラスの時間帯が変わったり、私自身が転職などでゴタゴタしたりしていて、しばらくお休みをすることになりました。ところがそれから1か月ほどして、新生活も落ち着いたしレッスンをそろそろ再開…と思ったところ、なんとお教室がなくなっていたのです。
呆然としました。私は先生の連絡先はおろか、フルネームさえ知りませんでした。関西出身の方だったので、帰られたのかもしれません。HPも更新がなく、足跡をたどることはできませんでした。どなたかもし心当たりがあれば、教えていただきたい。
沖縄の那覇新都心で2008年、アーユスヨガスタジオという教室を開いていらした森本先生です。
そして先生難民へ:どうやってヨガを学ぶ⁉
市民講座からホットヨガまで
ヨガはどうしても続けたかったので、新たな教室を探すことにしました。そこでまずは市民講座的なものに参加してみましたが、期待外れ。とりあえず体操やストレッチに、ヨガと銘打ったといえば言いすぎでしょうか。ただ動きを指示するだけで、その意味合いの説明等はなし。
そして大変失礼ですが、講師の方がお美しくなかった。
美醜というより、なんていうのでしょう。たとえばエステティシャンの肌が汚かったり、ダイエットサプリの営業マンが太っていたりしたら、信用できないですよね?私の中でヨガの先生といえば、内側からにじみでる種類の美のオーラが感じられないとアウトでした。
そしてもう一つ。
私はかつてビリーズブートキャンプを、4か月ほど続けた時期がありました。汗だくになって頑張るのが、すっかり快感ではまったのです。
ただ常に「私の動き合ってる??」という疑念がありました。ビリー隊長は叱咤激励はするものの、細かい動きや、その理屈・効果などにはほとんど言及しません。大勢で楽しむ臨場感を出したかったのかもしれませんが、周りで一緒にエクササイズしているのは素人。中にはその動きだと意味ないんじゃない??というダラダラしている方もいらっしゃいました。
繰り返し見るDVDですから、完璧な動きのお手本と説明がないのはいただけない。始めは楽しめましたが、なんだかこのままだと間違えたことでもして、ケガしかねないなあ~と不信感がつのり、次第にやる気がそがれてしまいました。
私はヨガの指導にも、強くそこを求めていたのです。
フリーペーパーやネットで検索を続け、ようやく良さげな教室を発見しました。先生も優しくて、技術面や指導の仕方も問題なさそうです(偉そうな言いようですが、あくまで私の主観的な理想において)。ただ少しオーガニック色が強い方で、私の求める美意識と方向性が少~し違うように感じました。それでもレッスンは悪くないし、しばらく続けてみようかな?と思っていたのですが…。
いつも一緒になる、ほかの受講生の方たちが、どうも「主婦仲間」らしく。ザ内輪感丸出しで、それ以外を排除するような雰囲気があって白けてしまいました。よってここも離脱。
ホットヨガがはやり始めていたので、こちらも何度かレッスンに通ってみました。汗をたくさんかくので気持ちはよいのですが…。
指導する講師の方が、ジムのスポーツインストラクターが急場しのぎにやっています、感がぬぐえず。
さらにエクササイズとしては悪くないけれど、そもそもこれ「ヨガ」と呼べるのか?と違和感も次第に強くなり。長くは続けられませんでした。
ワガママだったかもしれません。最初の先生を理想化しすぎていたのかもしれません。
でも「なんか違う」ことは嫌だった。そしてもう「ヨガ」自体からは離れたくなかった。
DVDという選択肢
最初の教室を失った時点で、ヨガを続けるための方策を考えた私は、ヨガに関する本を何冊か借りたり買ったりして読んでみました。その際購入した「パワー・ヨガ」というDVD付の1冊がグッと刺さったのです。その映像を流しながら、見よう見まねでいくつかのポーズをこなすうちに、そのポーズを一連にまとめた30分ほどのプログラムを行うことが、日課になっていきました。
そもそもなぜ「パワー・ヨガ」だったのか。
最初の教室はグループレッスンでしたが、たまたま私一人だけになり、マンツーマンレッスンをしてもらう機会がありました。その時に、私の動きを見ていた先生が「アシュタンガ・ヨガが向いてるかも」とおっしゃいました。
「アシュタンガ・ヨガ」とは、かなりアクロバティックでマッチョなヨガのことです。
私は幼少期からぽっちゃり体形で、中学生以降ありとあらゆるダイエットを試しまくってきた人間です。落としてはリバウンドの「万年ダイエッター」でしたが。(ダイエットの話についてはまたこちらで)
食事制限はスイッチが入るといけるのですが、長期間では継続できず。ただ黙々と行う「筋トレ」や「有酸素運動」は好きで、常に何かしら目新しいことを試していました。ビリーズブートキャンプにはまったのも、そんな経緯があったからです。
そんなわけで、多少筋肉のつき方に、その片鱗があったのでしょう。
とはいえアシュタンガ・ヨガを学べそうな場所はまずなかったので(今もそんなにはありません)、ただ「そんなのもあるのね~」と記憶にとどめていただけでした。でもそれがあったので、ヨガをするための教材を探していた際に、「パワー・ヨガ」という近しいワードに惹かれたのです。
調べてみると、このDVDを監修された綿本氏は、日本におけるヨガ指導者の第一人者でした。ヨガ雑誌などでもコラムが掲載され、知るほどに私の求めるヨギー象に近い方だと感じ、勝手に私の第二の師匠と仰ぐようになりました。
ほかの方の本やDVDも試してはみましたが、これほどしっくりくるものはなく。結果的に私はかれこれ15年以上、ほぼ毎朝このDVDを流してヨガをしています。
今であればユーチューブを活用というのも、一番の選択肢になったでしょうね。
いずれにせよ、自分に合った方法を見つけることで習慣化していくことが、何よりですね。
ヨガの効果!と変わらなかったもの:継続の先に
そんなわけで数年の間、よい先生や教室には出会えませんでしたが。本やネットで少しずつ知識も増え、細かい動きにも気を遣うようになりました。スポットで参加したレッスンでも、それぞれの考えなりやり方を学べました。
アーユルヴェーダのことも調べ、舌ミガキが簡単で続けられそうだと思い習慣化しました。タレントの郷ひろみさんも毎日実践していらっしゃるというのをテレビで拝見して、同じような器具を購入し、今も起きぬけに毎朝実践しています。今やこれをしないと、口の中が気持ち悪いですね。さらにその後はかるく口をゆすぎ、常温の水を一気に一杯、10分ほど時間をかけて白湯を一杯飲みます。
肉体的な変化
綿貫先生のDVDプログラムを毎日続けた結果、段々とヨギーらしい体形にもなってきたと感じるようになりました。細身ではないし、私の理想からは程遠いのですが。初対面の人や体に触れるマッサージ師さんなどに、「お仕事はインストラクターですか?」と聞かれることも。

具体的に一番変わった(私的に満足な)部位は、ただ太かった二の腕の付け根に、くびれができたことです。
モデルさんのような、ほっそりとまっすぐな二の腕も美しくて憧れますが、私は昔からNBAのバスケ選手のような、肩部分が丸く、筋が浮き出る引き締まった二の腕が大好きで。思いがけず、それに近い形になったのにご満悦です。
ちなみに、二の腕に確実に効いていると感じるのは「コブラのポーズ」です。
ほかにも効果がはっきり見えたものとしては「橋のポーズ」というものがあります。太ももの隙間がはっきりと大きくなりました。


そしてさらに!わかりやすい変化を一つ。
私の身長は、小学5年生以来ずーーーーーっと151㎝台だったのですが。ヨガを始めて最初の健診(32歳)で、なんと初めて152㎝台に突入したのです!!
たかだが1㎝と笑うなかれ。低身長には夢のような話です。まさか30歳過ぎてから身長が伸びるとは…。(実際にはストレッチ効果で歪みが治ったとかであって、背が大きくなったわけではないでしょうが)この話をすると、ヨガ始める!という方は多いですね。
それから最近まで10年以上、152㎝台をキープしました。残念ながら更年期の症状を感じ始めた46歳の健診から、また151㎝台に戻った(今度は実際に縮んだ?)のですが。まあ10年はもったしよしとしましょう。
肉体以外の変化
敬愛する最初の先生が、「ヨガを始めてから刺激物が欲しくなくなって、コーヒーとお酒が飲みたくなくなった」とおっしゃっていました。私はその意識には到底及ばず(多分一生ムリ)、コーヒーは一日3杯飲まないと脳が機能せず、晩酌のビール(350㎖×3缶マスト)が至福の時間です。
それでも、ヨガを始めたころから体が必要なものを感じるようになりました。なんか赤身の肉が食べたい。今日は魚だな。野菜をもう少し。
無理をしていると、体が休息を求めるタイミングもわかるようになりました。
寝つきが良くなり、早寝早起きが習慣化して、ザ低血圧的寝起きの悪さもなくなりました。
昔から短気(せっかち)なのは変わらず、人間性は向上してはいませんが(さすがに今生では無理でしょう)。はじめの目的であった、「ネガティブな感情に打ちのめされる自分」を一歩引いて眺められるような、客観性が身についたように感じています。
総合的に言うと、ヨガを始めて以降心身のチューニングができるようになった感覚ですね。
変わらなかったこと
残念ながら、期待していた慢性的な肩こりはほとんど改善しませんでした。
もともと非常に体が硬いので、いまだに伸ばしきれない箇所も多いんですよね~。
柔軟性に関しても、16年かけて多少柔らかくなったとは思いますが、それでも「ヨガを長年している人」としては笑われちゃうレベルです。
ただ「体が硬いけれどインストラクターになった」方の本を読んだことがあるのですが(タイトルも著者も忘れてしまいました…)。体の柔らかい人は、簡単に難易度の高いポーズをとれてしまうため、その過程を軽視しがちであるということ、自分は体が硬かったからこそ、一つ一つのアプローチを大切に学ぶことができたことが述べられていて。
ヨガにとって体が硬いのは、それほど悪いことではないと考えるようになりました。
ヨガの聖地インド・リシケシュへ:なんちゃってヨガ修行
さて話を戻しますが。
ヨガを始めて5年ほどたった2014年2月。36歳の私は、仕事を辞めたタイミングで思い立って、インドに1か月滞在することにしました。インドフリークの友人に「ある日呼ばれる国」と言われていましたが、それに近い思いも感じていましたので。
そういえば始めの先生が、インド滞在時のエピソードとして「むこうの石鹸で服を洗ったら、みんなボロボロになったの~」と笑って話してくださいました。恐るべし国インド、興味しかないぞ。
残念ながら、インドのどこに行かれたかまで伺わなかったので、いろいろ調べた結果「ヨガの聖地」として有名になっていた「リシュケシュ」という町に行くことにしました。映画『食べて祈って恋をして』でジュリアロバーツが演じる主人公の訪れたアシュラム(日本でいう宿坊のような宿泊できる修行場)や、それこそビートルズが訪れた寺院がある場所です。
目的の町「リシケシュ」到着!

沖縄発、台湾経由でニューデリーへ。
3泊ほど観光したのちに、列車に5時間揺られてハリドワール着。
そこから1時間ほどかけてバスでリシケシュに向かい、中心地まではオート・リクシャー(3輪バイクのタクシー)で移動。
バスで一緒だった白人の女の子と相乗りすることにし、彼女は以前お世話になっていた先生にアポを取っているというので、その界隈で一緒に降りました。
私は現地で適当に探す予定だったので、日本人バックパッカーのバイブル「地球の歩き」を片手に、掲載のあった手ごろな宿に飛び込みました。
幸い空室も十分あったので、とりあえず1週間滞在することに。

リシュケシュは、ガンジス川源流近くの町です。
ガンジス川といえば、聖なる川ながら、生活用水が流され「汚い」というイメージ(列車の着いたハリドワールはまったくもってイメージ通り)でしたが、リシュケシュに沿った流れは澄み切って大変美しいものでした。
インドとはいえ北の方に位置しますので、2月当時気温は10℃を下回ります。
沐浴まではいかなくとも、川に足を浸す観光客も多くて、私も真似してみたのですが。なんならヒマラヤマ山脈からの雪解け水ですので、水温は気温以上に低いものでした。それでも、その冷たさもまた格別。
河原は白い砂地なので「ガンガービーチ」と呼ばれ、川沿いには古いアシュラムや美しい寺院が立ち並び、宿からの眺めも最高です。
しかし訪問前の厳粛で荘厳なイメージに反して、ヨガブームのあおりでしょうか。
観光客向けのマッサージやツアー会社も乱立し、町中はいかにも「私ヨガしてます」なヨーロピアンだらけで。正直言って温泉街をほうふつとさせる「ようこそヨガの町へ」的な、バッキバキに観光地感は否めませんでした。商魂たくましいインド人たちが、カモたちの訪れる場所をそりゃあ見過ごすはずがありませんよね。
そういう意味で若干がっかりはしたものの。それでもいたるところにレッスンの案内が貼られ、時間になると町中にマントラの放送が流れる。ヨガにガッツリひたれる環境は申し分なく、わくわく感の方が上回っておりました。
意外な弊害
繰り返しになりますが、私は1年360日は晩酌をたしなむ(残りは体調不良か、極度の二日酔い明けか、健診前あたり)生粋の「呑んべえ」です。
なんとリシケシュはお酒とお肉が禁止されていまして。滞在中は一切口にすることができません。
旅支度の際にそれを知った時には少々不安でした。
しかし私は基本が単純構造なので、いざ彼の地に入ると「ヨガ修行」スイッチがパチンと入り、リシケシュ滞在中の3週間、一滴のお酒を欲することすらありませんでした。
ところが予想外の事態が。
インドはチャイ文化ですので、常にあちこちで煮出されていて、地元民はそれを一日中飲んでいる感じです。そのせいか、宿にはあるだろうと思っていた電気ケトルがなく(電気が不安定なのもあると思います)、持参していたインスタントコーヒーが飲めない(お湯が手に入らない)事実が判明。
そしてカフェのメニューには一応コーヒーがあるものの、出されるのは泥水かと見紛う代物で。
それでも飲めるだけましなのですが、そもそも朝イチはどこも開いていません。起きてしばらくコーヒーが手に入らない。
日頃から自分はアル中予備軍だと思っていましたが、それよりなにより、重度のカフェイン中毒だったことに気が付きました。
幸い滞在1週間ほどたったころ、奇跡的にまともな味のコーヒーチェーン店を一つ発見し(店員の態度はすこぶる悪い)、命拾いしましたが(同じく助けを求める外国人観光客だらけでした)。前もって覚悟がなかったので、想定外のコーヒー(カフェイン)欲求には往生しましたね。
ただし、もう一つ意外なこともありました。
私は生まれてこの方甘いものが一切ダメで(なるべくして酒飲みへ)、菓子ジュース類はもちろん甘めのお惣菜も苦手です。そのため砂糖(甘味料全般)を口にすることが、日頃ほとんどありません。幼少期からの筋金入りで、女子にあるまじき味覚オンチと言っていいでしょう。
そんな私が、コーヒーが手に入らないあまり、背に腹はかえられず砂糖たっぷりのチャイをいただくことに。当然ながら一口目で、その甘さに気が遠くなりました。
しかししかし。その後も、ほかに飲み物がなくて仕方なく飲んだり、知り合いができて断れずご馳走されたりして、何度か飲んでいくうちに、段々とおいしく感じられるようになったのです。
きっと気候風土に最適な飲み物だったのでしょう。あるいはヨガを通して、その地の気のようなものを受け入れたのかもしれません。おいしいという以上に「体にしみる」実感がありました。
本場!ヨガのレッスン①:ベースとなったクラス

本題のヨガの話に戻ります。
まず飛び込みで入った宿には教室が併設されていて、ヨガの先生がお二人在籍していらっしゃいました。お一人はハタヨガを指導されるインド人の男性で、もうお一方のスイス人女性はメディテーション(瞑想)のクラスを担当しておられました。
ハタヨガのクラスが朝・夕1回ずつ、スポットでいつでも入れましたので、早速到着した夕方から参加いたしました。
日常会話なら支障がない程度の英語力ではありましたが、レッスン理解できるかな?と少し緊張したのですが。特に専門的な表現はなく(多い単語は「吸ってinhale」「吐いて exhale」など)、ヨガでよく使われる「胸を開いて」という表現がまんま「open your chest」といった具合ですので、日本語のレッスンとなんら乖離なく受講することができました。
先生はザ・ヒングリッシュ(ヒンディ訛りの英語)でしたがそれは聞きなれましたね。
また「太陽礼拝」という最も基本的な流れがありますが、日本でも先生や教室ごとに少しずつやり方が違います。ここでも少し違いましたが、想定の範囲内レベル。
そのほか、レッスンの中には、やったことのないちょっとおもしろい動きや、ストレッチのようなものも入っていましたが、初心者がスポットで入るクラスですから難しいことはありません。
最後は短いマントラをみんなで唱えて終了。
私はそこから1週間、朝・夕このレッスンを受けました。1回きりの受講者が多かったので、2回目からはすっかり常連扱いされ。3回目以降は、太陽礼拝の動きのデモをやらされる始末?でした。
そのかわりと言いますか、個人的に1時間くらい無料でレッスンしてもらったりもしました(体が硬いのを見とがめられ、柔軟中心でぐいぐい押されながら…)。
レッスンは基本毎回新しい顔ぶれなのですが、何回か受ける方たちもいますので顔なじみもできました。
そんな感じで毎朝5時起床。軽く散歩をして7時からのレッスンを受講。
近くのカフェで朝食をとり、また散策してどこかのカフェで軽めの昼食。
宿の前のガンガービーチで瞑想の真似事をしたり、読書をしたりしてのんびり過ごし、16時から夕方のレッスン。またカフェで夕食を終え、部屋でまったり過ごして21時には就寝。
シャワーのお湯がなかなか出ないのはつらかったですが、それ以外はおおむね快適で、毎晩ぐっすり眠ることもできました。
ちなみに、メディテーションのクラスは夜9時からだったので、私には時間が遅すぎるのもあって、1回参加したのみになりました。(特にまた受けたいというほどの内容でもなかったのもあります)

本場!ヨガのレッスン②:スポットで体験

1週目に、スポットでほかに2つのレッスンも受けてみました。
1つ目はやはりハタヨガで、少し遅く20時頃からのもの。
先生はかなり流ちょうな英語を話される(のは大体高学歴の方)シュッとしたインド人男性。
ドイツ人の男の子と2人で受講でしたが、先生に始め、どのくらいのレベルか問われ、私は「初心者より少しできるくらい、でも体がとてもとても硬い」と答え、彼は「中級くらいかな」と回答。
国民性ですかね。結果、二人ともまったく同じレベルでした。
まあ同じことを同じようにできて、レッスン的にはやりやすくはありました。
ハンモックのようなものに吊るされる、ちょっと変わった動きを取り入れていて、なかなか楽しい内容。
ところで少し話がそれますが、日本人女性は海外でかなりモテます。
私は小柄で黒髪ロングヘアなので「日本人的」なのでしょう。目をキラキラさせて近づいてくる、日本人好きの単純でかわいらしい外国人男性によく出会うのですが。
しかし逆に欧米人の男性(特にヨーロピアン)に一定数、アジアンヘイトでしょうね、ゴミを見るような目で見てくる輩にも出会います。こっちもウジ虫を見るような目で見返してやりますが。
この時一緒に受講した彼も、そのタイプでした。
レッスン中話しかけても返事はおろか目も合わさねぇ。帰りもさっさと私を無視して去っていきました。
別に先生が良かったのでレッスン自体で嫌な思いはしませんでしたが。
いずれにせよ時間と場所が行きづらかったので、受講は一回きりになりました。
そして2つ目は、ずっと興味のあったアシュタンガ(正確にはアシュタンガ・ヴィンヤサ・ヨガ)のレッスンです。先生はスキンヘッドのコワモテ黒人男性で「え?アシュタンガだよ?君、大丈夫?」とはじめあまり歓迎されなかったのですが。
ひるみつつも負けじとクラスに入ってみると、20名ほどの受講生の半分は初心者の感じで一安心。
まあこれならいけるだろ~と思いましたが、難しいポーズというよりは、休みなく次々動かされていく、陸上のインターバルのようなスタイルで。
上級ぽい数名を除いて、みんなフラフラへろへろになりました。
でもきつすぎて笑っちゃう感じ。いざ始まると、先生も笑いながら「休んでもいいから、ほらがんばれ!」という体育会系のノリで、すてきな方でした。
まあすべてのアシュタンガのレッスンがこんな感じではないでしょうが。
ただ、ん-、私ヨガは「追い込まない」タイプが好き、と気づかされましたので、これも1回きりの受講となりました。でもとても楽しかった!
あと2つほどレッスンをのぞきに行ったのですが。
1つは珍しく日本人数名のグループがいて、そのうちの一人の男の子がやたらめったら話しかけてくるので(海外で謎に日本人ばかりとつるむ、何しに来たタイプ、かつ同胞というだけでなれなれしい←人見知りの天敵)、始まる前に脱走。
その後もその界隈は避けるように。
そしてもう1つは、表示されている時刻になっても先生が現れず。もう一人待っていた白人の女の子と、「インドだしね~」と苦笑しながら解散。
ちなみに有名なアシュラムやレッスンは、高いし予約もとれないし、ツアー客だらけなのでハナから候補に入れていません。
本場!ヨガのレッスン③:理論も学べる1週間コース
散策中に「1週間レッスン、宿泊+食事付き」のアシュラムを見つけていたので、2週目はそちらを申込み、宿を移りました。
レッスンはすばらしい!でも先生は俗人?

レッスン内容は、午前中はカパラバティ(鼻をふんふん鳴らしながら、かなり腹筋を使う呼吸法)をがっつり1時間ほど、マントラを2つ口伝で教えていただき(サンスクリット語なので文字を見たとしてもまったくわからない)、いくらか哲学的な説明をいただく。そして軽めのポーズをいくつか。
午後からも似たようなことを2時間ほど、といった感じでした。
先生の見た目は、絵にかいたようなヨギー。「Yoga is not exercise」と繰り返しつつ「どんなポーズでも24時間続けられてこそ本物のヨギー」とおっしゃるだけあって、鍛え方が違う。
お手本のナウリ(腹直筋を縦に波打つように動かす)なぞくぎ付けになりました。
しかし、かな~り俗っぽくって。スマホを方時も手放すことなく、レッスン中にかかってきたのをお構いなしにとっては、ヒンドゥ語でぺちゃくちゃ延々とおしゃべり。
ここらへん、さすがインドだな~と妙に納得したものです。
あと、私の体が硬いのを指さして笑ったのは、ちょっと根に持っています。
いずれにせよ学ぶ内容はとても興味深いものでした。
しかし石造りのアシュラムは朝晩底冷えをするので、呼吸法は毎回、途中から鼻水がとまりませんでした。先生に「鼻うがいしないからだ!」と注意されましたが、いまだに怠っていますね。
それでも、あの時覚えたマントラは10年たった今も忘れていません。
一部カタカナでご紹介。
「トメーバマータ、チャピタトメーバ、トメーバサレバン、ダマディーバディーバ」
ね、まったくわかんないでしょう。こういうのをひたすら先生から聞いて暗記しました。
英訳を読んだのですが、ほぼ内容は忘れました。あるヨギーをたたえる?世界平和を願う?感じだったかな…。
でも日本でお坊様が唱える読経と同じで、その節回し、リズム感はとても心地よいものでした。
始めは私1人だけでマンツーマンレッスンでしたが、3日目くらいに白人の男の子が一人参加。しかし「なんか合わないわ~」とさっさとキャンセルして離脱していきました。
最後の2日間は、60歳のスイス人のおじいちゃんが加わって、穏やかに受講されていました。
年なのでマントラの暗記は苦手~、とぼやいてはおられましたが。
美しいメディテーションルームで覚醒!?

このアシュラムはドーム型の変わった作りで、中心に荘厳なメディテーションルームがありました。
レッスン受講にかかわりなく、宿泊だけしているだけの方も含め、毎朝ゲスト向けに解放されます。
といっても、朝5時に扉が開くだけで、何かアナウンスがあるわけでもなく完全に自由参加。
あとは朝食が始まる7時に明かりがつきます。
最初はまわりにならいつつ、ビビりながら入ってみました。室内は窓もなく真っ暗で、無音です。そして思い思いに瞑想を行っています。
入るのは大体みんな一緒ですが、出ていくのはまちまちでした。(修行僧の方たちは、もちろんこの時間にかかわらず、常にどなたかが瞑想しておられます)
私はまじめに?1週間毎朝しっかり2時間、そこで瞑想して過ごしました。
初日は何をしてよいかわからず、ただぼーっとしていたのですが。2日目以降はひたすら心の中でマントラを繰り返していると、自然に時間が過ぎるようになりました。
2時間瞑想なんてすごい!気がしますが、あれはあくまで場の力が作用したのだと思います。ここ以外で同じように(マントラを心で唱えながら)瞑想してみましたが、10分と続きませんでした。
ここで感じた私にとってのヨガ
食事は朝昼晩、食堂で修行僧の方たちが配膳してくださるスタイルでした。そして宿泊者全員が食べ終わった後に、彼らは残りを召し上がっていらっしゃるご様子。
私は相変わらず人見知りを発動して、まわりの人とあまり関わらず、修行僧の方々と会うのも食堂くらいだったのですが。
宿泊者の中には、折をみて修行僧と熱心に会話されている方もいらっしゃって。
何を話しているのかしら?と(私には彼らに質問するようなことなど思いつきもしなかったので)冷やかしに横で聞かせてもらったところ。
meditation(瞑想)についてうんぬんかんぬん、そしてuniverse(宇宙)がなんちゃらかんちゃら、ん~哲学的で難解、とコソコソ逃げる羽目になりました。
私はヨガの精神世界にとても惹かれます。
ここでの瞑想体験には何かしら感じるところはありました。
でもぶっちゃけ、こんな風に瞑想を極めようという気はさらさらありません。それを再認識しました。
なんだか快楽主義のようですが(実際70年代ヒッピーブームのLOVE&PEACEは、ここにフィットしたんでしょうね)。単純に「心と体が気持ちいい」そこに浸りたいだけなんですよね。
そしてそれを許してもらえるのも、ヨガの受け皿の広さだと勝手に解釈しています。
本場!ヨガのレッスン④:最初のクラスへリバース
さてリシュケシュ3週目、また新しいところに…とも思いましたが。
まったりと外れなくすごしたいな~と思いましたので、始めの宿に出戻ることにしました。
朝夕二回のレッスンを受け、すっかり弟子と化して当然のようにアシスタントを求められつつ、おすすめのヨガの本をおすすめしていただいたり、貸していただけたり。
いつか自分のアシュラムをもちたい、という先生の目標も伺いました。
そしてこの先生について逸話?を一つ。
私は長く塾講師をしていたのですが、海外で職業を聞かれteacherと答えるとめんどうなので、適当にoffice clerkと答えるのが常です。
結果的に長く指導いただいたこの先生にも、最初でそう答えていたのですが。
マンツーマンで指導を受けている際に突然「あなた先生でしょう」と言われ仰天。
私の話の聞き方、理解の仕方が「誰かにものを教えている」人間のそれだというのです。さすがヨギーの洞察力!と感心した一幕でした。
ちなみに、この先生とは帰国後また縁があります。
レッスン以外では昼は町ブラ、いきつけのカフェで顔なじみになったネパール人の店員さんとおしゃべりしたり、日本語がペラのインド人(日本で結婚されていて、離婚語帰国)のご近所さんとお茶したり。
宿のスタッフが個人でツアー的なこともしていたので、有料で案内を申し込んだところ、追加サービスでバイクで(当然ノーヘル)観光にも連れて行ってもらえました。
修行というより「命の洗濯」的な三週間。最後は先生に、お借りしていた本を餞別代りにいただいて帰国の途につきました。

インド旅を終えて:結局ヨガって何?
「ヨガ」や「アーユルヴェーダ」について説明するような、知識も権限も私にはありません。ただ、ここで私が知った、というか感じたことを少しお伝えしたいと思います。
ヨガは先にも述べたようにそもそもが瞑想を行うための、ひいては宇宙のありようを感じるための、心身の土台作りです。そしてあらゆるポーズ、呼吸法やマントラは、医学の一種であるアーユルヴェーダとも密接な関係にあります。
私は最初「ヨガ」とは、原始仏教はじめインドのあらゆる宗教の一環(修行の形態)だと認識していたのですが。先生方の話を聞くと「ヨガそのもの」がどうやら一つの宗教として機能しているようでした。
そして哲学でもありながら同時に、日本の「ラジオ体操」くらい身近なものとして、宗教問わず日常に取り入れられているところも興味深い。
一言では言い表せませんが、インドというヨガ発症の地に降り立ったことで、そんな空気感を味わうことができたのは最高でした。こうして私はますますヨガの世界観のとりこになったのでした。
ここでは主に「ヨガ目線」でのインド滞在記にとどめました。その熱気とエネルギッシュさに感銘を受けつつ、さまざまな問題に考えさせられたことについては、また別の機会でお話しさせてください。
そしてヨガととともにある毎日
帰国後、相変わらず先生難民が慢性化していた私ですが。
それでも毎朝5時半起床、舌ミガキをして常温の水を一気に一杯、白湯を時間をかけて一杯飲みほしてから、綿貫先生のDVDで25分ヨガを行う。それをごく自然に日課としておりました。
努力しているわけではなく、ただ気持ちよくて楽しいから続けているだけで。
そもそも楽しい晩酌のために仕事をがんばる呑み助ですから、時には二日酔いでさぼることもある程度の、ゆる~い習慣です。
ヨガから派生した興味:仏教
少し脱線になりますが、ヨガと宗教のありように興味がわいたことから、私は「仏教」というものがとても気になるようになりました。
崇高な信心ではなく、誤解を恐れずに一言で表すと「興味本位」に近いものなのですが。
まずは、お釈迦様が修行でヨガを取り入れられていたことから、ブッダ(インド仏教)の関連書籍をいくつか読んでみました。
その後中国、日本へと伝わり変容した流れも気になり、弘法大使から親鸞に至るまでの日本仏教のことを調べ、高野山も訪問しました。福岡のお寺で写経体験をしたり、ポップなところでは地元の「寺ヨガ」なるものにも参加してみたりも。
また、チベット仏教の五体投地(体のすべてを床につける礼拝)に関するルポにも感銘を受けました。チベット仏教といえば「ダライ・ラマ」という存在にもとても惹かれます。
そして現インド仏教を率いる日本人僧侶、佐々井秀嶺上人の存在を知り、強い畏敬の念を抱きました。今度インドに行く機会があれば(次は南の方のアシュラムへ行きたい)謁見が叶わないかと夢見ているところです。
新たな恩師との出会い:先生難民卒業!
40歳になる年、祖母の介護で実家に戻ることになりました。
在宅介護をしながら、もちろん朝のヨガのルーティンは続けておりました。時間に都合がつくようになったころには、地元のヨガ教室も何度か受講してみました。しかし先生はよかったのですが、またまた受講生のおばさま軍団が嫌で断念。
あいかわらず精神力というか、私の人間性にこそ大いに問題ありですが…。
新たな生活でまさかの出会い!
祖母が亡くなった42歳の時、妹家族のいる鹿児島に引っ越すことにしました。
すっかり早寝の習慣が定着していたので、これを機に夜遅い塾業界から離れ9-17時のまっとうな?事務職に就くことに。
無事就職先も決まり落ち着いた2018年、新たな地でよいところがあるかも…と思いつつ、もはやあまり期待はせずにヨガ教室を探し始めました。
するとインドで1週目と3週目にお世話になった先生のクラスと、同じ名前とロゴの教室を発見したのです!!
目を疑いました。こんな地方で?しかも家から車で5分ほどの距離。
ドキドキしながら、体験レッスンを申し込みました。先生は30歳前後のかわいらしい女性。
はたして、かの教室でインストラクターのコースを受講し、のれん分け的に名前をつかわせていただいているとのことでした。
よもやこんな地方都市で、短期間とはいえインドで師と仰いだ方との、姉弟子に出会うとは(恐れ多くも、時系列的には妹弟子と呼ぶのかもしれませんが)。
インドの先生とは、たまにSNSでご連絡をするくらいでしたが、早速報告をしたところ喜ばれて。彼からもまた、こちらの先生に連絡してくださいました。
そんなゆかりのある先生ですから、合わないわけがない。
教室名を使っているものの、ほかでも色々と学ばれていらして、レッスンはピラティス要素も強いものでした。ご主人がトレーナーをされていて(ヨガはしていない)、体幹トレーニングも重視していらっしゃいます。
つまり、筋トレ好きの私には、とても分かりやすい指導をいただけるのです。
そして私はゴルフが好きなのですが(ラウンドはご無沙汰気味ですが)、先生もゴルフをされるので、ゴルフに絡めた体づくりのお話もしてくださいます。
たとえば私は、ポーズの前に「ため」をいれる癖があって、流れを阻止してしまうことがあること。その「ため」をはずせばゴルフのスイングものびやかになり、飛距離アップにつながる、といった。
整体にも通じていらして、体のほぐし方も色々アドバイスしてくださいます。
多くの現代人同様、私自身どの職場でも長時間パソコンに向かうのが必至でしたので、肩こりは直しようがないレベルです。それも加味しながら、体のゆがみにアプローチしたストレッチやヨガのポーズを指導してくださいます。
週一回のレッスンのたび、こまめに体の不調を確認してくださり、その都度合ったレッスン内容を考えてくださるのもありがたい。
また股関節の柔らかさは、どのスポーツでも日常生活でも大切なので、入念にみてくださるのですが。ある時ふと「私、三か月健診で股関節が外れているのを発見されて、赤ちゃんの時分、半年ギブスだったらしいんですよね~。だから硬いんですかね~」とお伝えしたところ、「だったらこの動きはだめです!」と股関節のストレッチは禁止されてしまいました。
いかんせん自分に記憶がないので忘れがちなのですが、赤ちゃんの時とはいえ、この股関節脱臼(先天性股関節症)は私にとって「既往症」なんですよね。
実は私40歳を過ぎてから、長時間歩くと右のお尻の付け根に痛みを感じるようになっていました。
といっても慢性的なものではないので「ほほう、これが話にきく坐骨神経痛か。大人になったものよのぅ」と軽く流していました。
ただ同じころから右足だけズボンの裾を踏むようになり、定期的に言っていた整体・鍼・マッサージなどでも「右足が短い」ことを指摘されるようになっていました。
先にお話ししたように、一度伸びた身長がまた戻ったのはこのせいでしょうね。そんな顕著な体の変化ですので、さすがに気にはなっていたはいたのですが。
それも踏まえ、既往症を念頭において調べてみると「変形性股関節症」、つまり件の赤ちゃんが成長し、中年になったころに現れる後遺症っぽいことがわかりました。
さらに衝撃的なことに、股関節に問題のある人は、基本ヨガは厳禁とのこと!体に良いと思われるヨガですが、健康でない股関節には負担の大きい動きが多いのです。
なんてこと。もうヨガのない人生など考えられないのに…。
しかしそれこそ、この先生に出会えて一番よかったことでした。先生ご自身、股関節の病気で大きな手術をされているのです。なので、負担をおさえた動きを熟知していらっしゃった。先生の指導の下であれば、安心してヨガが続けられるのです。
変形性股関節症は、悪化すると歩けなることもある重大な疾患です。医療機関で診断を受けているわけではありませんが、その可能性があることを早い段階で意識して生活するのは、予防になっていくはずです。
母が更年期でつらい思いをしていたので、私も何かしら心身ともに症状が出てくると覚悟をしています。ほかにも加齢とともに、不調や疾患は避けられないはずです。
それでもヨガがある限り、自分の心と体の声に耳を傾け、自分らしく生きていけると確信しています。
そしてこれからもヨガは人生とともに
長々と、私のヨガとの歩みにおつきあいいただきありがとうございます。
実は例のインドの先生とは、オンラインレッスンをするしないのくだりがあり仲たがいをしてしまいました。残念なことですが、この方との縁はそれまでだったのでしょう。
それはそれとして、今の先生に出会えたことを大切にしていこうかと。
これから長いお付き合いになるこの先生に教わったことなど、また細かいこともボチボチお伝えしたいと思っています。
先生には以前インストラクターコースも勧められたのですが(股関節のことがある前ですが…)、私はずっと生徒でいたい。怠惰かもしれないけれど、私にとってやはりヨガは突き詰めるものではなくて、ずっと学びを楽しみたいもの。
私のこれまでの歩みが、ほんの少しでも、誰かがヨガを知るきっかけとなれば嬉しいです。
というわけで、私のヨガの旅はまだまだ続きます!よろしければご一緒しませんか?
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