約4か月を過ごしたケアンズは、振り返るほどに楽しい思い出でいっぱいです。それでも機上の人となった私の胸の内は、次なる地へのワクワクの方が上回っておりました。そうしてシドニー国際空港へと降り立ったのは、南半球では初夏の10月末のことでした。
シドニーってどんな町?
首都ではありません
オーストラリア随一の都市シドニー(Sydney)。国内最大人口を誇り、人種も多種多様です。
ケアンズは圧倒的に白人が多かったのに対し、シドニーでは一気にアジア系(特に中国人)の割合が増えました。
街としては東京ほど都会ではありませんが、高層ビルも多く主要な金融機関や企業を抱え、国の中枢的な場所であることがうかがえます。
ちなみにアメリカのニューヨーク同様、首都と間違われがちですが。オーストラリアのそれはキャンベラ。
後に訪れるそこは「造られた」美しさが感動的でしたが、個人的にはシドニーの歴史的に「創られた」あるいは流動的に「作られていった」息吹を感じる町並みに魅力を感じます。
なんといってもシドニー湾
中心となるのは世界一美しいと称されるシドニー湾。
かのオペラハウスが堂々とそびえ、湾に架かるハーバー・ブリッジと対をなす景色は圧巻です。
オペラハウスのすぐそば、入植者がたどり着いた埠頭サーキュラー・キー(Circular Quay)は歩道が整備され、ショッピング・モールやレストラン、フェリー乗り場やバスターミナル、駅も設置される要所です。
そこを抜けると、西洋人による最初の住居地ロックス (The Rocks)に行きつきます 。古い建物や歴史的建造物も見られますが、毎週末開催されるロックス・マーケットではかわいい雑貨が並ぶ観光地でもあります。
湾を眺めながらの散歩だけでも楽しめますが、活気あるフィッシュマーケットを冷やかしたり、エンタメの帝王カジノを覗いたり。
内陸に向かうと美術館や美しい教会、巨大なボタニカル・ガーデン(植物園)もあって。シドニー湾周辺だけで何日でも過ごせます。
シティはモダンと歴史の融合!
シドニー湾から内陸に向かって、シドニー中心業務地区(シドニーCBD)と呼ばれるエリアが広がります。
国際都市お約束ともいえるシドニー・タワーをはじめ、近代的なオフィス街には高層建築物も多くありますが。目を引くのは、中心に位置するクイーン・ヴィクトリア・ビルディング(Queen Victoria Building)でしょう。
19世紀のロマネスク・リヴァイヴァル様式で1898年に建築された美しい建物で、現在はショッピング・モールとなっています。昔の日本の百貨店の赴きながら、割とポップな店舗もあって入りやいのもよい。その建物内を歩くだけでも癒されます。
本気で買い物をするならピット・ストリート・モール(Pitt Street Mall)の方でしょう。ストリートに専門店が軒を連ね、カフェやフードコートで飲食も楽しめます。
そんな都心でありながら、広大な公園ハイド・パーク・(Hyde Park)という憩いの場があるのも素敵です。
チャイナタウン強し
CBDのはずれにはヘイマーケット (Haymarket)と呼ばれる市場があります。農作物が販売されるほか、フリーマーケットでもにぎわう場所です。
そばにはアジアの食料品や雑貨が買えるスーパー(カタカナで「スーペーマーケット」と書かれていた)もありました。
そのほか飲食店や専門店も並び、活気あふれるチャイナタウンもここに位置します。
日本の中華街以上に中国色の強いそこでは、英語の話せない中国人たちが中国語だけで生活可能な界隈でもあります。シティ内が中国人だらけなのも納得。
華僑の力を見せつけられます。
都市部の周りに住宅街、郊外にはビーチや自然も広がる


シドニー湾界隈で見どころ満載というより、実際はシドニー観光自体がそもそも都心に集中しています。郊外にはもちろん美しいビーチが多数あって、有名どころはシティからバスで20分ほどのボンダイビーチあたりでしょうか。
そのほか車で2時間ほどのブルー・マウンテンズ国立公園が、荒々しい山脈が広がる景勝地です。しかし自然を満喫するツアーなどは、ケアンズに比べるとかなり少ない。やはりシティ中心部を楽しむ観光都市といえます。
お仕事に就くまでの日々
治安の悪い?バックパッカーへ
安さ重視は安全軽視?
ケアンズで一番仲良くなったユミと、ルームシェアをする約束をしていた私。
彼女はケアンズからシドニーまでの道筋を、観光しながらバスや電車で移動したいということ。
空路希望の私は一足先にシドニーへやって来たため、しばらくバックパッカー(安宿)で過ごすことになりました。
シドニーはもちろん都会ですから、バックパッカーも比較的お高い。
その中で利便性とお値段を兼ね備えた場所と言えば、もちろん治安のよろしくない場所です。
それがキングスクロス(King’s Cross:日本人は略してキンクロと呼んでいた)というエリアでした。
州ごとに法律が異なる(コアラに触れられるところとそうじゃないところ、中絶手術が合法なところと認められていないところなど)オーストラリアですが、なんとキンクロは売春が合法な特区。
セクシーなお姉さんたちが道端で客引きを行い、警察官があちこちで見回りをしているようなところでした。
しかしシティ中心部から徒歩で15分ほどという好立地。
私はここの宿に1週間ほどお世話になることになります。
夜中の館内放送にドッキリ!
シドニー到着後はキンクロへ向かい、目星をつけていた宿が空いていたので、4人部屋のドミトリー(2段ベッドが二つ)に泊まることにしました。
朝食が付いている宿は多いのですが(シリアルと食パン)、そこはなんと夕食がついているリーズナブルなお宿。といっても、スープでくたくたに煮られたヌードルとかですが。いや貧乏バックパッカーにはありがたい。
日中は一人で町を散策、疲れ果てたところで夕飯をいただき泥のように眠る。
そんな真夜中に、突如として大きな館内放送でたたき起こされました。
「すわ火事か?」パニックになっていると、同部屋の白人女性が自分の腕時計を指さしています。そこで放送内容がようやく理解できました。「サマータイムか!」
日付をまたいだところで、その年のサマータイムが始まったというお知らせだったのです。
てか朝でよくないですか?
ググってみると2003年のサマータイムは10月27日から4月5日までとのことでした。ということは10月26日夜中の出来事ですね。
そんなわけで寝ぼけながら腕時計を1時間戻し、再び眠りについたのでした。
若きバックパッカーはお盛ん
ところで同じ部屋には、他にドイツ人の女の子二人組がおりました。
彼女たちは毎日楽しく遊びまわっていて、夜も飲み歩いていたのですが。
私は2段ベッドの上の段で寝ていたのですが、ある朝目覚めると下の段に裸の男女が眠っております。ドイツ人の片方の女の子と、見知らぬ白人の男の子です。
ん?君ら昨晩コトに及んでいたのかい?
眠りは浅い方だと思っていたのに、まったく気づかず寝ていた自分にびっくりです。
すっかり肝が据わったなあ。
のちに別の宿で、シャワー室でいちゃつく男女と鉢合わせたこともあります。
なんてったって若いし、旅は解放感しかありませんからね。まあバックパッカーあるあるです。
バックパッカーでの思いがけない出会い
日本男児イトウ君
キンクロ界隈はまず日本人がいません。
ところがある日、宿で日本人男性を一人発見いたしました。30歳のイトウ君です。
宿泊メンバーで盛り上がっていた彼も「お日本人だ」とばかりに私の姿を認めますが、会釈をするだけで近寄っては来ませんでした。
同胞でつるむのを嫌う日本人もおりますので、求められていない相手には近づかないのが鉄則です。
ところでワーホリビザが取得できるのは18~30歳までなので、30歳のワーホリメーカーは日本人仲間に「ギリホリさん」の愛称で親しまれておりました。ちなみに申請が30歳までなので、実際には31歳のギリホリさんもおります。
イトウ君はそんなギリホリさんで、坊主頭に髭の少々いかつい風貌の「ザ・バックパッカー」でした。少ししか関わることがなかったのですが、のちに男気あふれるお兄さんであることが分かります。
アイリッシュ女性とちょっとだけ仲良しに
先にサマータイムを教えてくれた同部屋の白人女性。年は私の2歳上の28歳でした。
出身を訪ねると「小さい島よ」と恥ずかしそうに言うので、どんな辺境の小島かと思いきや。なんとアイルランドのことだと判明しました。
まあオーストラリア(大陸)からすればそうですが、奄美大島出身の私は苦笑するしかありません。
彼女は観光ビザで来ていたのですが(アイルランドがワーホリ対象になるのは2007年)、すでに事務系の仕事でいくつか病院に当っておりました。「言葉はほどんど一緒だし、とりあえず働いて住んでみたいと思って」とのこと。
彼女はインタビュー(面接)その他で忙しく、宿で会えば軽く会話をする程度の仲でした。
そんな彼女が、なんと「今夜イトウと飲みに行くんだけど一緒に行かない?」と誘ってくれたのです。
てっきり彼も了承済みだと思い、ウキウキと約束のバーに着いたところ…イトウ君はちょっとびっくりしておりました。
しまった、とんだ野暮天ではないか!
無論彼は嫌な顔などしませんが、私は極力二人の邪魔をしないよう、横で小さくなって会話の聞き役に徹することにしました。まあイトウ君の英語力は私よりずっと上だったので、そもそも入り込む余地もありませんでしたけど。
出会いと別れはセットです
そんな出会いもあった宿暮らし。
はじめはビビっていたキンクロも、ハナっから「治安が悪い」と覚悟して行動すれば問題なし?
風俗のスカウトマンが声をかけてきても(アジア女子は人気)、あちこちで警察官が目を光らせているので、無視していればしつこくされることもありませんでした。
お得意の日本人向けサービスセンターを見つけたし、シティを散策しまくって地理にも明るくなったところで、いよいよ住まい探しです。
キンクロに慣れてきたので、ちょいと危ない場所でもいけるな、と範囲も広げます。最終的にキンクロ近く(シティ寄り)のタワマンのシェアルームに決めることになります。
件のアイリッシュ女性は、寮?のようなところへ引っ越すということでした。一足先にチェックアウトした彼女と、シティまでの道を一緒に歩き。分かれ道では互いの幸運を祈りつつお別れをしたのでした。
なぜか坊主になる私
友人の失恋を機に
旅をしながらシドニーへと向かっていた友人のユミとは、毎日メールか電話で連絡をとっておりました。
彼女はあるバックパッカーで出会った、イギリス人男性と親しくなります。部屋も共にし数日過ごした時点で、彼女は恋心が芽生えておりました。
ところが彼の態度は煮え切らない。私をどう思っているの?と問いただす彼女に、堂々と“travel friend”と言い放ったそうです。
ユミはすっかり落ち込んでしまいました。
傷心状態の彼女を、さてどう慰めるか。そうこうしているうちにシドニーに到着したその姿は、もともと痩せていたのに、わずか数日でさらにやつれておりました。
再会した日は一通り話を聞き、明日なんかおもしろいことしようねと約束します。
そもそもブレイズヘアは合わなかった
ところでケアンズでブレイズヘア(細かいみつあみ)にしていた私。髪を編んだ状態でずっといるわけですから、洗髪は地肌を洗うのみでした。
それでも問題ないのですが、やっぱりガシガシ洗いたい。まだ1カ月ちょっとでしたが、この髪型そろそろ限界になっておりました。
市販のパーマ液を塗ってからほどくと、細かいソバージュになってかわいいよ、というアドバイスもあったのですが。ほどくのが面倒(毛先は松やに?で固めている)だからいっそ坊主じゃね?と思いついてしまった私。
そこで軽い気持ちで「ゆかの髪切りたい?」とユミに提案すると、目をキラキラ輝かせております。よっしゃ、これで元気になるならヨシ!
ハイドパークで散髪をする、アホな日本人女子となったのでした。
そうしてある程度カットしたところでいったん宿へ戻ると、受付のお兄さんが”Your hair has gone!”と絶叫。イトウ君にも「やっちゃったね~」と笑われました。
その後ザンバラ頭で散髪屋さんに行くと、理容師のお姉さんが「どうしたいの?」と嬉しそうです。どうしたい?「いや、ただ整えてくれれば…」というと、つまらなそうにバリカンをかけてくれました。
なんか坊主にする変わり者女子だから、模様になるようにカットするとかを期待したんじゃないかなあ。うーん、いっそそうすればよかったか。




さすがにナンパは絶滅しました
そういえばシドニー着すぐに街を散策していると、ピシッとしたスーツ姿の白人男性にお茶に誘われました。ケアンズでは短パンTシャツの男性しか存在していなかったので、びっくりしすぎてお断りしたのですが。
よくよくカッコよかったし、久しぶりに出会うちゃんとしたビジネスマンだったのに…と後悔したのですが。もしかしたらナンパじゃなくて、何かの勧誘とかだったかもしれないけど?
まあそれはさておき、ストレートヘア→ブレイズヘアでも変わらなかったナンパ率。坊主にした直後から完全にゼロになりました。
そりゃあまあそうでしょうけど、あからさますぎませんか男性陣。
ちなみに少し伸びてベリーショートくらいになったところで、アジア系男性に声をかけられるようにはなります。ロングの時は欧米人にしか声をかけられなかったので、嗜好の差でしょうか?不思議です。
LBGTの多い街で予想外の弊害
実はシドニー、大きなゲイパレードが開催されることでも知られる街。
ゲイ向けのアダルトショップが豊富で、ゲイポルノが鑑賞できる映画もありました。
ケアンズでは見なかったゲイカップルも、たくさん目にします。
180㎝と190㎝と思しきスレンダーイケメンが腕を組んで歩いているのを見た時など「女子からイイ男二人も奪わないで~!」と神様を呪ったものです。
もちろんレズビアンの女性もたくさんおり、その中には坊主姿の方もまま見かけました。
そんな土地柄で坊主にした私。当然そういう目で見られることもしばしば。
しかし実際にはファッションだけのノンケだと見抜かれるのでしょう。同性愛の女性陣には、私はガン無視されました。
もっといえば彼女たちから見て、おそらく私は魅力的ではなかったのだと思われます。
ちょっと残念。
アジア人学友はドン引き?
私の断髪式の話を聞き、年上の日本人女子たちは「なんで止めなかったの!」とユミを叱ったそうですが。年下のトモミは「なんで私も呼ばなかったの!」と別の方向でユミに怒っておりました。
いずれにせよ、日本人仲間には「あいつアホだな」で済んだのですが。
さてケアンズの語学学校で出会った面々は、いずれ旅立つ人たちばかりでした。
そして広大なオーストラリアですが、バックパッカーの行き先はある程度決まっておりますので、旅の途中でちょいちょい再会します。
どうやらシドニーで韓国人の学友たちが、私を見かけたらしいのですが。坊主頭に驚愕して声をかけられなかったんだとか。
台湾人の子たちも私を目にしたらしく「ユカは出家したのか」と日本人の知人にこっそり尋ねてきたそうです。
まあスーパーロングからの高低差が、やべーヤツ丸出しですよね。てへぺろ。
新居はタワマン!
ネットの掲示板でちょうどうよい物件を見つける
さて当時のお部屋探しは、日本人向けサービスセンターの掲示板(ガチの物理的な)か、ネットの掲示板でございました。
ネットは写真などを載せられるレベルではなく、文字で条件だけが紹介されたもの。金額や場所、特徴や特典?が文字で記されていました。
そこには「無料」のルームシェアもちょいちょいありました。野郎が出している、女の子限定(特にアジア女子)募集のやつです。バカなの?と思っていたけれど、一定数あったので…金銭的にひっ迫した女の子か、すげー割り切った子に需要があったのかもしれません。
まあさすがにそういうのは無視して。私はとにかく値段と場所の折り合いを見て、ユミとルームシェアできる物件を探しておりました。
そうして見つけたのが、シティにほど近いタワーマンションです。3LDKの2部屋を貸し出ししているものでした。
掲示を出していたのは日本人カップル。自分たちが出ることになった部屋を、オーナーに頼まれて日本人向け(日本人はシェアメイトとして人気)に紹介したものでした。
思ったより豪華なシェアルーム!
ユミが来た時点ですぐ入れるように、あらかじめ独断で決めたその場所。間に入ってくれた日本人の子と待ち合わせて、下見もさせてもらっておりました。
その時お会いしたオーナーは、当時30歳ほどのインドネシア人女性。小柄でかわいらしい方で、お仕事はフィッシュマーケットの事務方をされているということでした。
オーナーの部屋はバス・トイレ付きのメインルームで、残り二部屋(8畳くらい)が貸し出し用。部屋には鏡張りの大きなクローゼットがあり、マットレス(シングル2つ)が置かれています。
シェアメイト用に共通のバスルームとトイレがあり、洗濯機も自由に使ってよいが洗剤は各々持ち寄るように、とのこと。キッチンは雑多に調理器具が置かれ自由に使え、冷蔵庫は段ごとに専用。広いリビングのテレビやビデオも利用でき、固定電話も使用可能。
そしてリビングにかけてあるカギは「住民用室内プール」のもので、これも使ってよいというからテンション上がります。これで一人週40ドル(光熱費込み)ほどだったと記憶しています。
少々治安のよろしくない場所なのですが、徒歩1分の所に大きなPolice stationがあったので却って安全だとふみました。

もう一組のシェアメイト
そんなわけで移り住んだ部屋。そこで初めて、もう一組のシェアメイトとお会いしました。
日本人男性と台湾人女性のご夫婦です。旦那様は28歳のワーホリメーカーで、フリーペーパーを制作する会社で働いているということでした。奥様は8歳年上とのことで、ワーホリビザはとれず観光ビザにて滞在中。
二人の出会いはイギリスの留学中というぐらいですから、夫婦ともに英語は流ちょうです。しかもこの奥様は、日本語も完璧(日本語検定1級)。
3か国語を操るスーパーガールの彼女は私とユミとも仲良くしてくれて、3人でよくお出かけするようにもなりました。
シティを散策する日々
仕事が決まるまでの間、私とユミはアホみたいにシティ内を歩き回りました。
お仕事に就いてからも、仕事前の時間や休みの日に延々と徘徊いたしますが。
カフェイン中毒の行きつく先
カフェ、そしてチェーン店
ユミと私は典型的なカフェイン中毒。朝から何杯もインスタントコーヒーを摂取します。
二人で出かけると、とりあえず一度はコーヒーの摂取が必要になります。
コンビニや自販機などない海外ですから、目に付いたカフェに入るのが日課でした。まあしかし観光地なのでお高いところが多い。
やがて会計明瞭なチェーン店に偏るようにはなりました。日本でもおなじみスターバックスが、町の名前を入れた小物などを販売していたのが目新しかったりもしました。ハードロックカフェ(Hard Rock Cafe)のシドニー店を見つけて、喜んで入ったこともあります。
ファスト・フード事情
やがてマックを皮切りに、よりリーズナブルなファスト・フード店にしか行かなくなりました。
世界中で変わらぬ味が安心のファスト・フードチェーン。しかし国ごとに価格の設定が違うことは知っていました。当時のオーストラリアの生活費は、日本と変わらないか少し高いくらい。しかし往々にして、各ファスト・フード店の価格設定は、日本より低めだった気がします。
あと国によって多少メニューが異なりますが、オーストラリアのマックでは25セントのミニソフトクリームがあって、すごく食べやすくて人気でした。大きい白人男性が、一気に4個食いしてたのを見たこともありますけど。
ちなみにコーヒー一杯の値段が一番安いのがKFCだと気が付いてからは(1.1ドル=80円くらい)、ほぼ一択になります(オリジナルチキンも1.75ドルくらい)。

ところでオーストラリアのバーガー・キングは、ハングリー・ジャックス(Hungry Jack’s)という名称だとご存じでしょうか。メルボルンのお店で商標登録されていて、大手チェーンにも限らず名称変更を余儀なくされたようです。あきらかにバーガー・キングのロゴに別の名前、しかし店のメニューにワッパー・バーガーが普通にあるので、始めは意味が分からず混乱しました。
なぜかこのハングリージャックスの店舗は、どこも80年代ポップスのMVを延々と流していたので、その雰囲気が好きで定期的に通うことになるのですが。
コーヒーの呼び名に注意!
ところでオーストラリアでは、通常のブラックコーヒーのことをロング・ブラック(Long Black)と呼びます。ショート・ブラック(Short Black)はエスプレッソのことで、これにお湯を足したものがロングとなるわけです。
カフェでもチェーン店でも露店でも同じです。この注文名を知らないと、普通のコーヒーにはありつけません。
私は基本ブラックコーヒーしか飲まないので、オーストラリア留学経験のある知人に事前に教わっていて助かりました。これから行かれる機会のある方は、どうぞ覚えていてくださいね。
ソフトプレッツェルにドはまり
プレッツェルという食べ物がありますが(お菓子プリッツはこれを基にしたもの)。それまで、なぜか惹かれて目にする機会があると買っていたのですが、塩辛いというか油がきついというか。アメリカ旅行中にもトライしましたが、一度もおいしいものに出会ったことがありませんでした。
そんな私が、シティ散策中にソフトプレッツェル屋さんに出会いました。ベーグルのような感じで、プレーンやクリームチーズを挟んだものなどが並びます。
すごくおいしそうだけど、きっと期待外れだろうな…。
ところがこれが大アタリ!でした。食感はベーグルに似ていますが、もっとふんわりして塩気具合も絶妙。その店は焼き立てが並ぶことも多く、一つ2ドルちょっととコスパもいい。
すぐ近くでフレッシュジュース(1ドルのグレープフルーツ100%)の露店あったので、これとセットで食べるのが楽しみでした。
私の人生で一番おいしかったグルテンです。その後、このシドニー以外で出会ったことがないのですが。今も夢にみる味です。
私の健脚はここで身に着いた
日本で路線に恵まれた都会人は、とかく歩きますよね。しかし地方の人間は車だよりで、まあ歩きません。私もその一人でした。
しかしそれは習慣の問題で、もともと歩くこと自体は苦ではない方です。シドニーにはモノレールもありましたが、シティ内ではほぼ使い物にならず。大阪出身のユミはもともと歩く人でしたから、片道50分くらいは私たちには余裕で徒歩圏内になりました。
そんなわけで時間が許す限り、無駄にシティを歩き回る毎日。
私は帰国後も、いっそ地方の人間にはあるまじき?歩き回る人間になりますが、これはシドニーの生活あってのものです。予想外の副産物ですね。
シドニーには気になるスポットがちらほら
日本の店舗?
シドニーに着いてすぐ、高島屋のマークを見つけた時はびっくりでした。しかしすでに閉店し、看板だけが残っていたものでしたけれど。
しかしシドニーにはなんと紀伊国屋がありました。本屋さんのそれです。
そしてなんと日本書店の古本屋もありました。えらい郊外だったため、行くのは断念したのですが。
そのかわり?日本の食材を普通に売っているというお店が、シドニー湾を渡った北の住宅街にあると聞き行ってみました。ここはさすがに徒歩で行けず、バスで30分くらいかけることになりますが。
小さな業務スーパー的な、あらゆる日本の食品が売っている小売店で、商品を見ているだけでテンションがあがりました。ユミがそこで調味料のチューブ(こういうチューブタイプ自体手に入らない)を買ったのですが、帰宅後箱を開けると、なんと底が開いて中身に黴が生えていました。保存状態が悪かったのでしょう。すぐにお店に電話をした(日本語対応)ところ「現物を見ないと分からない」と言われたので、郵送したところ。後日わび状一つない代替品が、ただ送られてきました。
せっかく日本食品が豊富なのに、対応が海外仕様でずさんすぎ。わざわざ行ってがっかりでした。
都会のシドニーには、とにかくそういった気になるスポットがままあったのですが。2003年はまだまだサービスの面では未熟だった気がします。
今はあらゆる日本のチェーン店が入っているようですから、さらに便利な街になっているようですが。
カジノはお小遣いをくれる場所
ケアンズのカジノで1セントマシン(10セント単位で遊べるスロット)を覚えた我々。
シドニーのカジノ(徒歩40分くらい)にも、時折足を運んでおりました。
といってもテーブルのガチなヤツを遠巻きに、せいぜい10~15ドルくらいを費やす程度です。しかも毎回、5ドル位勝ちました。
無料でコーヒーが飲める(ケアンズは無制限、シドニーは1日2杯まででしたが)だけでもお得なのに。儲けはたいてい、フードコートのフィッシュン・チップス(白身魚のフライとフライドポテト)代になりました。カジノにはもちろん高級レストランもありますが、フードコートはサービスディッシュ的な感じで、安くて(3ドル位だったはず)おいしかった。
ちなみに「オーストラリア名物」といえばフィッシュン・チップス(かミートパイ)ですが、そもそも「イギリス名物」じゃないのか?と首をかしげるところです。
まあでも白身魚もポテトも世界中で好かれる食材ですから、移民国家に定着するのは納得です。
国内あちこちでおいしいところがあり、ビネガーをたっぷりかけて食べるのがオージー流でした
そして散策が生んだ?ユミの恋
ユミはその後バイト仲間の日本人女子で、とても仲良くなった子がいたのですが。彼女はつきあうか微妙な段階のオージー男性がいて、その彼と共通の友人であるピーターをユミに紹介することになりました。
アフリカ系の黒人男性で、イギリスとオーストラリアの二重国籍を持っている方です。
彼は学生で、ロックス・マーケットでアルバイトもしていました。なんとロックス散策中だったユミと私を見かけたことがあったらしい彼は、ユミのことを「かわいい子だな」と覚えていた(私のことはアウトオブ眼中~)のだとか!すぐにアプローチが始まり、後日改めてドライブデートに出かけることになりました。
ユミは先にイギリス人男性に手ひどく傷つけられたので、最初こそ警戒しておりましが、意外と天然で、優しくおもしろいピーターに徐々に惹かれ。その恋は無事成就。ワーホリビザ終了後もスチューデントビザに切り替えて、彼のために滞在期間を延ばすことになります。
いざお仕事探しへ
出だしは難航!
意外と見つからない募集
さて住居が定まったところでお仕事探しです。
方法としては、まず日本人向けフリーペーパーや掲示板(ガチ・ネット両方)、そして街中に張られた求人募集など。
ワーホリビザは職種の制限こそはありませんが一か所で働けるのは3か月までですから、短期のところに限られます。
シティ内で多いのは飲食店のお仕事。ワーホリメーカーを随時雇っているところが、やはり理解もあり働きやすい。
しかし時期が悪かったのか、募集が思ったほどありません。
あっても連絡するとすでに決まっていたり、語学力(語学学校でのクラスやTOEICのスコアなどを聞かれる)で折り合いがつかなかったり。
先に部屋を決めてしまったので、あまり郊外だと面倒。場所もある程度シティ内に制限されてきます。
職業に貴賤はないけれど…
ちなみに風俗系の募集はひきも切らず。日本人で就いた子の話は聞いたことありませんが、韓国人では知り合いの知り合いくらいがやっていると聞きました。
煮詰まって、日本風キャバ的なところがあったので、試しに一度電話で話は聞いてみましたが…厳しそうなママが「日本で経験のある子しか募集してないけど。面接だけしてみる?」と言われ、ビビって辞退しました。
イトウ君に叱られる
当たりのないまま2週間以上経ち、ユミとシティでぶらぶらしていると偶然イトウ君と会いました。「なんか思ったほど求人なくて~」と愚痴ると「えり好みしてないか?」と言われます。
「でも英語力もそんなにないし」「土方作業みたいなのも地元求人であるよ」「日本人女子の体力で雇ってくれないでしょう?」「それなら二人で一人分の給料でもいいから、って交渉だってしたらいい」イトウ君、シビアです。
でも確かに私たちは厳しいところは避けている、なんなら逃げているのは確かだなあと反省しました。
そんなこんなでお別れしたイトウ君。それからひと月くらいした頃、街中ですれ違った大型トラック(屈強な白人男性運転)の助手席に、イトウ君の姿を認めました。こちらに気づいて笑顔で手を振る彼は、以前より日焼けしています。
しっかり地元の職場に入り込んで、体張ってるってことでしょう。
イトウ君かっけー。まじリスペクトです。
【閑話休題】漢(おとこ)は獅子たれ!
ジェンダーフリーのご時世に、時代錯誤をお許しください。
私は基本的に「女は蝶よ花よと愛でらるべし」「男は千尋の谷に落とされて這い上がってこい」と思っております。だから海外にあって、甘えのある男子につい厳しくなります。
それでももちろん同胞は何かあれば助け合うものです。
しかし一度ユミとシティにいたときに、半泣きの日本人男子が「ああよかった、日本人ですか?」と寄ってくるので、何事かと思えば「道がわからなくて」。
はい?ここは海外ですから、海外の方に聞けばいいでしょう?英語で話せないにせよ、話す努力もせず日本人頼りってなんなの。
私自身ケアンズの語学学校で、日本人でゆるく過ごしてはいましたが、かといってガチで日本語だけ日本人だけでつるむような状況下は避けてきました。だからユミと一緒に住むにしてもシドニーまでの道筋は別々。そもそも日本人でも、同じような感覚の友達しかいません。
そんな私は、甘ったれの日本人男子を無視して去ろうとしました。しかし見かねたユミが一人で対応することに。
「ちょっと人としてどうかと…」と叱られましたが、いやだって何しに来たって話でしょう。方っておいてカタコトの英語ででも、どうにかさせようぜ?そのスタンスが譲れません。
しかし日本人の女の子が困っている様子でいると、私は「大丈夫?」と自ら声をかけます。「それもどうかと思うよ」とユミに呆れらたものですが…。
もちろんケースバイケースで、ジェンダー問題を抱えている方に、そんな仕打ちはしないつもりですが。
やっぱり男はイトウ君が理想な、昭和世代の私です。
ワーホリで働くということ
税金も納めるのですよ
さていざ働くことになり、ワーホリで得る収入。納税対象ですので申告の義務があります。
そのために、先に申請書が必要。英語の文面に抵抗のあるワーホリメーカーは、エージェントに高値で委託することになります。
しかし中には、そもそも申請しない人も少なくありません。ファームなどでは確かに、日払いなどでなあなあになる場合もあり支障がないといえばない。
しかし実際にはこれ不法就労です。
ですから雇う側で悪い人がいると、最低賃金をはるかに下回る時給が設定されることもあるし、そもそもバレたら強制送還ですので割りに合いません。
シティ内でも実はちょいちょい申請なしで働けるところがありました。とはいえ私は小心者なので、辞書片手に頑張ってキッチリ申請。就業先も、ちゃんとしたところを探すように心がけました。
破格の最低賃金ではありますが
コロナパンデミックを経て、かつて類を見ない円安となった昨今。ワーキングホリデーは稼げると話題になりましたね。
2003年当時でも最低賃金は13ドルくらいで、その気になれば日本より稼げる下地がありました。ちなみに米ドルではなく、もちろんオーストラリアドルです。当時のレートが1豪ドル=70~80円だったので、それでも当時の日本の最低賃金より高い1,000円前後でしょうか。
今や1豪ドルは110円を超えているし、最低賃金も25ドルぐらいということですから、そりゃあ稼げるでしょうよ。
ただし今も昔も日本より法令順守されていない印象なので、これを下回ることは少なくない(先の申請を怠った場合は確実)のは念頭においておきましょう。
仕事探しはタイミング!
後から来た子に先を越される
ケアンズの学友トモミも、遅れてシドニーにやってきました。
彼女は旅の途上で韓国人の彼ができ、コリアンシェアハウスで一緒に住み始めていました。華僑さながら韓国人も人脈がすごいので、コミュニティ内の紹介ですぐに仕事が決まると聞きます。
それとは関係ないものの、その流れにのったかのように、トモミもすぐに仕事が決まりました。なんと例の紀伊国屋!その日本書部門のレジです。
日本の個人書店くらいの大きさの場所に、普通に日本の本や雑誌・漫画が並び(価格は3倍くらいですが)、本好きの私には延髄の場所なんです。実はここを知ってから、私は足しげく通っておりまして。生まれて初めて小説一冊立ち読みまでしていたのですよ。
トモミは運よく、ここの募集を出てすぐ見つけてゲットしたのです。しかも25%の社割もあると!うらやましすぎる…。のちに活字中毒が高じた私は、2冊ほど代わりに買ってもらうことになります。
もうちょっとでCMデビュー?
そんな紀伊国屋からの口コミで、在住の日本人に日本人向けのCMオーディションのお知らせが回っておりました。
冷やかしに数名で受けに行ったところ、なんと私だけ一次を通過。坊主頭が功を奏したのです。
ちょっとしたカメラテストもあった二次面接、特技も面白みもない人物だと即バレて、もちろん不合格ではありましたが。
一緒に二次を受けて落ちたメンバーに、スタッフがタク代とお小遣いをくれたので、みんなでお茶だけして帰りました。まあレアな体験できてラッキーでしたけど。
後日放送されていたこのCMは使い捨てカメラのもので、ロリータ系のセーラー服の女の子が2名、ビーチではしゃぎながら写真を撮っているといったものでした。
外国の方って、ロリとかギャルに興味深々ですもんね~。
やはり日本食強し!
そんなこんなで3週間ほどかかりましたが、ようやくユミと私もお仕事を見つけられました。
ユミはショッピングモール内にある、日本食ランチボックスのテイクアウト専門店。
私はチャイナタウン近くの日本食レストランでした。日本食強いわあ。
ちなみに調理師免許のある人は、お店側で取り合いになるそうです。
食ではないですが、日本の美容師さんもすごく需要があると聞きました。
「手に職」って無敵ですね。
ところで私の勤め先となるそこは、チャイナタウンにありますから。正直「日本風」と言いたいところではございました。なんせ厨房はタイ人、寿司シェフは中国人なんですから…。
それでは改めて、仕事を始めてからの日々へ!


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