高校生時代『ノルウェイの森』に衝撃を受けて以来の大ファンですが、ハルキスト(村上春樹氏の趣味や生活スタイルに影響されファン)では断じてないと言いたい私。とは言え、むろん全作品網羅していますし、なんなら長編はすべて2~3度ずつ読み返しています。そんな亜ハルキストですので、あえてここで短編集をおすすめしてみようと思います。
本書は表題作含め、6篇のお話が収められています。登場人物は皆、1995年1月に発生した阪神・淡路大震災に間接的に関わっています。
兵庫県出身の著者ですので、震災の傷をこのようなかたちで表したのでしょう。震災と同年に地下鉄サリン事件が起きたことも大きく影響しているようで「ある種の圧倒的な暴力」として作品の中にも表現されています。
ちなみに地下鉄サリン事件については、著者自身が被害者やその関係者にインタビューを行った『アンダーグラウンド』という著書もありますので、ご参考までに。
そんな短編集ですが、私はある一作品が大好きです。この短編集というより、このお話こそが紹介したい作品です。長編・短編合わせておそらく一番好きな、それは「かえるくん、東京を救う」というタイトルの物語です。
主人公片桐がアパートの部屋に戻ると、巨大な蛙が待っていました。
その蛙は「ぼくのことはかえるくんと呼んでください」と言います。
片桐は「東京安全信用金庫新宿支店融資管理課の係長補佐」として、淡々と職務をこなす有能な会社員です。しかし恋人はおろか友達もおらず、経済的に助けてきた兄弟には軽んじられています。そんな彼のもとに突如現れた、人語を介する巨大な蛙。
「ぼくがここにやってきたのは、東京を壊滅から救うためです」
3日後の2月18日朝8時半頃。
東京を巨大地震が襲い、それに伴う死者はおおよそ15万人なるというのです。
その震源地は東京安全信用金庫新宿支店の真下だと、かえるくんは告げます。
かえるくんは片桐に共に地下に降りて、みみずくんと闘い、地震を阻止してほしいというのです。
村上作品と言えば、数多くのメタファーが特徴的。
メタファーとはずばり「比喩」ですが、彼のそれは実に独特でユニークです。特異な感性で表現される芸術的で、あるいはキザったらしい比喩表現の数々。それこそが村上文学の村上文学たる世界観なのですが。さらに単なる比喩の域を超え、時にメタファーそのものが実態をもった生き物のようにすら描かれます。メタファーだけで一冊の説明本ができてしますくらいです。興味のある方は一度「村上春樹 メタファー」で検索していただければ。
そんな村上春樹世界において、「かえるくん」も「みみずくん」もメタファー、あるいはメタファー的存在にカテゴライズされるでしょう。
しかし「かえるくん」は決してメタファーの範疇におさめるべき存在ではありません。こういってしまうとただ陳腐極まりないのですが、片桐にとって唯一無二の「友人」となるからです。
初の長編小説『風の歌を聴け』(あるいはそのシリーズ)における「僕と鼠」をほうふつとさせ、それとは趣を異にする。短編作品の一世界とは思えぬ、実に深く強い結びつきなのです。
短編はそうでもありませんが、村上作品の長編はどれも「同一人物か?」という似通った主人公が描かれます。私の中では、たいてい村上春樹自身が主人公自身です。
そんな中において、片桐は主人公としてかなり珍しいタイプに感じられます。
大切なものをもたず、それゆえ恐れるものもない。何かを求めているわけでもなく、何かを諦めているわけでもない。見た目は地味で平凡だけれど、確固たる自分の軸をもっている。
かえるくんは、そんな片桐の本質を見出しているのです。
かえるくんは戦い、片桐は応援をする。
それまでの彼の人生に、決してなかった種類の出来事です。
病院で目覚める片桐。戦いを終えたかえるくんと、片桐は文学について語りあいたいと願います。しかし損なわれゆくかえるくん。
「そのお友達のことが好きだったのね」問いかける看護師。
混とんとする意識のなかで片桐は「アンナ・カレーニナ」とつぶやき「とても」と答える。
孤独ゆえに、孤独であることも自覚していなかったかもしれない片桐にとって、初めて分かり合えると思えた存在。短い物語の、刹那的な出会い。
それゆえに、そこで紡がれた友情に似た何かが、読者に強い余韻を与えるのです。
何度も読み返し、私はかえるくんについて考えます。そして片桐がかえるくんと出会えたことに、その都度感謝をするのです。
きっとこれからも何度も、かえるくんと片桐の交流を振り返ることでしょう。
Book:7「神の子どもたちはみな踊る 」(2000)村上春樹 著
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