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Book:32「めぞん一刻」(1980-1987)高橋 留美子 著

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今回は漫画を一作品ご紹介させてください。
高橋留美子氏といえば、長年にわたる少年漫画界の大御所作品は軒並みアニメ化され、オタクならずとも日本人なら誰もが知る著名人のお一人でしょう。

「めぞん一刻」は青年漫画雑誌「週刊ビッグコミックスピリッツ」にて40年以上前に掲載されながら、国内外いまだに根強いファンをもつ作品です。
恐ろしいことに彼女は、同時並行で『うる星やつら』を「週刊少年サンデー」で連載していました。誰もが知る作品の一つですが、物語の内容は仮に知らなくとも、この作品のメインキャラクターラムちゃんの存在は知るところでしょう。
この2つのまったくテイストの異なる名作を同時に手掛けていただけでも正気の沙汰とは思えないのに、さらに驚くべきは彼女が当時20代だったということです。
もはや人間のなせるわざではありません。

アニメ『うる星やつら』が放映された当時、私は幼稚園生でした。
人気を博しながら、風紀的に社会問題ともなったこのアニメ。私はこのアニメが大好きな大好きな、大勢の子どもの一人でした。
そんな幼い時分に、どう考えても同じ絵のアニメ『めぞん一刻』も放映されていました。
目にした当初、「これもラムちゃん⁉」と大喜び。ところが実際に見てみると、大人向け内容で面白くない!と、大変ご立腹したものです。

そして小学校高学年になったある日。友人の家で、お兄さんの漫画雑誌を手にしたとき、たまたま「めぞん一刻」の最終回を目にしました
その回を読みながらあれこの漫画って面白いんじゃないの?とその魅力には、ふんわり気づいた瞬間でもありました。とはいえ当時の私にはまだまだ早く、実際にちゃんと読み始めるには至らなかったのですが。

中高生の頃は多読乱読で、「物語」は小説・漫画、ジャンルを問わず読み漁っていたのですが。その一環で中学生の頃なんとな~く読み始めた漫画『うる星やつら』。アニメは大好きでしたが連載時は幼かったため、漫画自体をきちんと読んだことはなく。しかしいざ読み始めてみたら一気に全巻制覇しました。
幼い頃のアニメのイメージとはまた違った、意外に大人向けの機知とシャレに満ちたハイセンスぶりに、それは魅了されたものです。さらに何十回となく読み返すことに。

その延長で着手した「めぞん一刻」。絵が同じなのに、別次元の世界観に度肝を抜かれました。
小説の名作にまったく劣らない。大人の恋愛ものでありながらギャグ要素満載、そのうえで号泣必至な人生の悲哀が盛り込まれている。文学作品の名作に勝るとも劣らない。ただただ脱帽、なんなら平伏、全面降伏いたしました。

繰り返しますが、それらを同時期に20代で仕上げたんですよ
そりゃあアインシュタインやニュートンはじめとする科学者が、後世に残る偉業を成し遂げたのが非常に若い頃だったり、「奇跡の1年」的な短期間だったり。
滝廉太郎のように僅か23年の生涯で歴史(教科書)に名を遺す名曲を生み出したり、モーツアルトのように通常一生で作り出せるはずがない数の作曲をしてみたり。
世にいう「天才」は期間も年齢も関係ないのは承知の上ですが。凄すぎませんか。

ちなみに高校時代、読書感想文で全国2位、のちに高校で国語教諭となった友人に「めぞん一刻」全巻、ゴリ押しして読ませたところ「これ、『読書』だよね?」と言わしめたことを付け加えておきます。

改めて物語の内容に触れておきます。
主人公は五代裕作ごだいゆうさく。それは冴えない浪人生です。
そんな彼の住むボロアパート「一刻館」に、管理人としてやって来たのは若く魅力的な未亡人音無響子おとなしきょうこでした。
彼女に一目ぼれしたものの、二人はどう見ても「月とスッポン」
はじめは相手にされるはずもなく、周り中にいじり倒されるだけでした。

そのダメっぷりは一見『うる星やつら』の諸星もろぼしあたるに通じなくもないですが。
超人レベル飄々ひょうひょうとしており、時に人間離れした能力を発揮するあたると異なり、祐作は心底ヘタレです。
物語冒頭、浪人生だった彼は辛くも三流私大に合格を果たしますが、その後就職活動でも紆余曲折。一刻館の妖怪四谷よつやさんに「君ほど毎年正念場を迎えている人間はいない」と言われる始末。

しかし何と言いますか。
地べたを這うように彼は成長していきます。
その原動力はもちろん響子さん

とはいえ彼女もなかなかのクセモノ。
真面目な性格ゆえに非常に頑固で。一見パーフェクト美女でありながら異様に勘が鈍く。そのくせ嫉妬深くて、意図せずして祐作の心をもてあそぶ結果に。
しかしその裏には常に、生涯の愛を誓った夫を失った傷が見え隠れするのです。

笑って泣けるとはまさにこのこと。
彼らを取り巻くキャラクターたちも、ほかに類を見ないぶっとびぶり。二人の恋の行方とともに、脇役たちの行く末も気になります。

手塚治虫や宮崎駿のような巨匠たちとはまた違う、若き才能。しかし若さゆえのほとばしる躍動感…でもなく、青臭くもない。
20代だと思えば思うほど、老成しすぎた世界観にも見える…でも完成されていない気もする。
なんなら『らんま1/2』以降は、少年漫画」として完成されすぎているように感じます。
『人魚の森』シリーズの怖さ、『るーみっくワールド』のおかしみ、『1ポンドの福音』のシリアスとギャグの融合など、大人向け青年漫画も実に洗練されております。
しかしやはり、「めぞん一刻」と『うる星やつら』のもつ破壊力は別格・別物です。

『うる星やつら』は高橋氏が大学在学中に連載が始まっただけあり、初期の絵は荒くストーリーも混とんとしていますが。そんな1話目に持ち出された「鬼ごっこ」が、絵のタッチもかなり完成された最終話に再度持ち出されたときは、すべて計算か?と感激に打ち震えました。

そのうえで五代君と響子さんの、あるべきところへ至る確かな手ごたえ。
どちらの作品も最終回へ向かって、神がかった状態だったとしか思えません。
表題は1作ですが、とにかくこの2作は私の中でセットで圧倒的な「物語の力」を見せつけてきます。

いやもうとにかく、すべての日本国民に、どちらも全話読んでいただきたい。
ただそれだけですね。

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