もともと少女小説としてデビューした著者ですが、数年後一般文芸へシフト。
以降は主に恋愛小説を執筆されていますが、そのいずれも主人公が恋愛観をだいぶこじらせているのが特徴的です。そのためラストがストレートな「ハッピーエンド」とはいいきれないものもあるけれど、どの作品もその主人公らしい落としどころにもっていく展開が、私はとっても大好きです。
2020年、数年ぶりの新作『自転しながら公転する』が出版され喜び勇んで購入しました。しかしその翌年、山本氏は病気のため58歳で永眠されました。とても驚き、もうこの世界観が描かれることがないことにショックを受けましたが、これまでのすべての作品に、ただただ敬意を表したいと思います。
そんな山本氏の作品は、ほとんどが長編なのですが。今回ご紹介するのは、氏の作品の中では少々毛色の変わった短編の連作です。
物語の大筋としては1話目で7歳の女の子手毬の人生を追っていきますが、その1話目の語りは隣に住む12歳のアメリカ人少年マーティルでスタートします。その後2話目は17歳となった手毬自身。その後も語り手は手毬ですが、最後は手毬の娘目線の話となります。
時代設定が1話目は1967年、2話目以降は10年刻みで1977,1987,1997,2007,2017,そして最後が2027年となっています。
1話目の物語冒頭、手毬のことを「マリ」と呼ぶマーティルが「マリはスポイルされた子供だ」と述べています。spoil:だめにする・甘やかす、という意味合いの言葉ですね。
それもそのはず。手毬を産んだ母親は若く、手毬は祖父母の子供として育てられていました。
7歳の手毬は祖父母を両親だと信じて疑わず、実の母親のことは別に暮らしているお姉さんと認識しています。
複雑な状況下で祖父母の手に委ねられた手毬は、甘やかされて育ったのは当然と言えば当然。
そのため、ただの隣人で子供で外国人で、「手毬」の正確な名前すら知らないマーティルにとって。自分の家にやってきては我がもの顔にふるまう彼女は、両親に甘やかされたワガママな女の子でしかありません。
しかし日本にやって来た当初、2歳のかわいい手毬をみて感激したマーティル。自己中心的なふるまいをする7歳の手毬にはへきえきしていますが、実はかわいくて仕方がないのが本音です。
そんな彼自身、生まれ育ったアメリカを離れ「敗戦国」日本へ幼少期に連れてこられ。外では「外人」と遠巻きにされ、両親は不仲。心に鬱屈を抱え自分のことで手一杯な状態でした。
やがて離婚を機にアメリカに戻る母親に呼ばれ、彼は日本を離れることを決意しました。
マーティルが手毬をマリと呼んでいたように、手毬は「マーティル」という聞きなれない名前を覚えきれず、彼の愛犬「ジョン」の名で彼を呼んでいました。
両親だと信じていたのが実は祖父母で、姉だと思っていた人が母親だと知りショック状態の手毬。その手にその愛犬ジョンを押し付けるようにして、マーティルは彼女のもとを去っていきます。
祖父母の愛情をいっぱいに受け、お隣の幼馴染にも愛された幸せな子供時代は突如終わりを告げ。手毬の世界は一変、奔放な母に振り回される不遇の学生時代を過ごすことになります。
それでもひょうひょうと生き抜いていくようで、手毬は次第に「恋愛」にむしばまれていきます。
落ちた花が水に従って流れる「落花流水」とは、ゆく春の景色の意味合いから転じて「物事が衰えゆく・時がむなしく過ぎ去る」ことのたとえです。
さらに男性を花、女性を水ととらえ、水の流れに身をまかせたい男と、その落花を浮かべたい女になぞらえ「男女の思慕」も指しています。
「スポイル」された手毬の10年後、20年後…60年後。最後の章のタイトルは「葵花向日(ひまわりが太陽に向かって咲く姿)」。正直、そのタイトルから思うようなラストではないかもしれません。
そんな手毬の流れつく先を、ぜひ追ってみてください。
Book:30「落花流水」(2002)山本 文緒 著
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