山田氏といえば、外国人(特に黒人)男性との恋愛を描いた物語で有名ですね。
外国人男性とお付き合いすることに憧れを抱いたり、実際にお付き合いをしたりしている女性陣から多く共感を得てきました。
私自身は中高生の頃、自分とは縁のない世界のお話として楽しんだものですが。大人になって実際に外国人男性とお付き合する機会があった際、ふとした彼の言動や彼とのやりとりに、あー山田詠美世界だなぁと感じたことはありました。
今回ご紹介するのは、そんなラインナップからは外れる作品ではあります。
高校生が主人公という点では『放課後の音符』と同様ですが、男子というのは意外かもしれません。シニカルで大人びた目線をもちながら、やはり若者らしい鬱屈を抱えている。そんな時田秀美くんの時に突飛で、時になんとも高校生らしい日々がつづられます。
それにしてもティーンエイジャーの気持ちを、よく大人の女性が描けるなあと思ったものですが。
今回電子版で読み返したところ、前書きに
自分の十代を探り言葉を拾うたびに、時田秀美という少年の輪郭がくっきりと浮かび上がり、その内に、彼は生き生きとした様子で動き回り始めたではありませんか。
としるされていました。はじめはストーリーテラーのような立場だったそうですが、次第に秀実君に自分自身の言葉を投影させていたというのです。
彼女の他の作品にも通じるある種の「素直さ」は、十代の心をずっと失っていなかったからなんだなあ、とすごく納得しました。
さらにこの作品には「学歴社会」を揶揄する社会風刺のような要素があり、なにかしら教育界に波紋を広げたのでしょう。1999年(平成11年)の大学入試センター試験に出題され、話題となりました。
実は山田氏自身は、このことを快く思っていらっしゃらないようですが。
今では学校図書館の定番というか、推薦本のような位置づけにすらなっているようです。
余談ですが、私はこの本を、高校生のとき学校の図書館で借りて読んだのですが。
うっかり返却期限を過ぎてしまい、先生から「未返却本のある者」として名指しされた上に、クラスメイトの前でこの本のタイトル「僕は勉強ができない」を読み上げられて(こういう仕打ちは時代ですね)、恥ずかしかったのを鮮明に覚えています。
いやお前の読んでる本なんだよ!って突っ込まれました。
決して恥ずかしい本ではないんですけどね。
さて、本の内容に戻ります。
物語冒頭、学級委員の選出で2番目に票の多かった秀実君は「書記」になり、そのあいさつで「僕は勉強ができない」と言いクラスメイトの笑いを誘います。
確かに彼は成績が良くない。でも人気者でモテます。
学級委員になった少年は学年トップのガリ勉でしたが、自分にない魅力をもつ秀美のことを敵視しています。うーん青春。
そんな彼をからかう秀美くんは、親友の女子にハニートラップを仕掛けさせる、ちょっと底意地の悪いところも。
秀美自身には、バーに勤める年上のガールフレンドがいます。
対等なつきあいだと思っていたものの、やはり自分が「子ども」だと打ちのめされる出来事も起きてしまいます。秀実君なかなか傷つきますが、まあそれも青春。
やがて卒業後の進路を決める時期がやってきます。
しかし自由奔放な母や変わり者の祖父は「一般的な」意見を述べることもなく、干渉してくることもない。レールが敷かれていないゆえに、自由な未来に翻弄される秀実。
そして葛藤の末に「勉強ができない」僕が打ち出した、生きる道とは。
最後にスピンオフ的な形で、秀実が小学生時代のお話があります。以外にも、ここの主人公はその時の担任。批判的目線で秀実の原点となる様子を語ります。
しかしここでそんな担任とまっこうから対峙し、その常識を覆す秀実の母親のトリッキーぶりが実に魅力的です。本編の高校生秀実の目線に対して、ここでは一般的な大人目線になっているのも、読者目線に近い部分もあるかもしれません。
ちなみに先の入試に出題されたのは、この章からの抜粋です。
ある意味まっとうすぎるゆえにゆえに世論ずれした登場人物たち。しかし他人との違和感に屈することなく、自分たちの生き方を全うしている姿が素敵です。
独特のユーモアや感性をもちながら、揺るぎない自己肯定感ゆえに頑固さも隠せない彼らのキャラクターは、山田氏の特性が如実に反映されたものでしょう。
高校生の時分に読んでも刺激を受けましたが、アラフィフの今読み直しても心を突かれます。
何者でもない、だからこそ何者にもなりうる。自由ゆえの不自由さに苦しむ。
自分自身に顧みて、そんな在りし日を思い出してみませんか。
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