皆さんは、インド仏教の頂点に立つのが、日本人僧侶であることをご存じですか?
私はヨガに長年携わるうちに、インドが発祥である「仏教」に興味を抱くようになり、タイトルでこの本を手にしました。そして、かの人物を知るにいたったのです。
私たち日本人(おそらく世界中の人)にとって、インドの偉人と言えばマハトマ・ガンディーでしょう。非暴力・不服従運動により、インド独立のために戦ったその経歴はあまりにも有名です。
しかし実は、彼によって救われなかった人々がいました。不可触民とよばれる、カースト最下層の人々です。
ガンジーは国という大局を見てはいましたが、国民一人ひとりの「平等」を目指したわけではありませんでした。どちらかといえばカースト制度そのものを、国の安定のために必要だと感じていたようなのです。
ガンディーの功績は確かに素晴らしいものに違いありませんが、カーストの低い方たちからみれば決して救いとなる人物ではありませんでした。
そんな最下層の人々のために尽力した人がいました。アンベードカル博士です。
ガンジーは上位カースト出身のエリートでしたが、博士は不可触民の家庭から想像を絶する苦難を乗り越え、大学進学を果たしたお方です。
博士は身分差別(カースト)の因習を打破する解決策を、発祥の地でありながら長らくすたれていた「インド仏教」にみました。
おそらくキリスト教の広まりもそうですが、すべての人をひとしなみに扱う考えに、差別に苦しむ人々が同調したのでしょう。1956年、ヒンドゥー教(カースト制度が根強い)が多くを占めるインドにおいて、博士率いる約50万人の人々が仏教への集団改宗を行うことになりました。
ところがなんとその2か月後、病のために博士はこの世を去ってしまいました。このため一筋の希望のはずだったインド仏教は指導者を欠いたまま、暗礁に乗り上げた形になるのです。
時は流れ1965年。高尾山留学僧としてタイに逗留していた佐々井秀麗上人その人が、そのインド仏教に大きく働きかけることとなります。
とはいえ彼自身は「高僧」と呼べるような生き方をしてきた人物ではありません。
幼少期より胸に抱く闘志のようなものがありました。そしてすべての生き物を敬う心がありました。しかし女性へ抱く欲望が人一倍強いことで思い悩み、人生の方向性を見失います。
まともに学校に通うでもなく、うろんな商売に手を出し、ついに行き倒れるまでに。
しかしそんなどん底で、一人の住職と出会います。その人柄に感銘を受け、なりゆきで仏教の世界へと足を踏み入れることになるのです。
始めはその道を突き進むつもりはありませんでした。それでも学ぶうちに、元来の聡明さから頭角を現し、留学のチャンスを得るに至ったのです。
ところがその渡航先タイで、安穏とした生活を送る現地の僧侶たちの姿に疑問を抱くことに。
反目を覚え惑い悩み、また道をそれかけて。しかし紆余曲折の末、彼は運命に導かれるようにインドへ向かうことになるのです。そうして不可触民の凄惨な現状を知るに至り、ついにアンベードカル博士の遺志を受け継ぐ者となりました。
そこからもまたいわずもがな、波乱に満ちた日々を送ることとなるのですが。
この本自体は、インド仏教の最高指導者という地位を確立しながら、実にマイペースな佐々井上人と、ライターの白石氏のほのぼのとしたやり取りをつづった手記になっています。かわいらしい挿し絵とともに、サクッと読み進められますので、ぜひ気軽に手にとってみてください。
はじめは、このひょうひょうとしたお坊さんは何者?という感じですが、やがて怪僧と呼びたくなるような破天荒ぶりに驚き、それまでたどってきた壮絶な道のりに感服してしまいます。
それにしても私を含め、おそらくほとんどの日本人が存じ上げないであろう。こんな方がいらしたことに本当にびっくりしました。
しかしそれもそのはず。佐々井上人は、正式な仏教の僧侶としては日本の一部、あるいはインド自体でも受け入れられてはいないのです。そもそもインド仏教の存在そのものが「自称」の扱いらしいのです。
それはどれだけ、不可触民という存在が不遇の扱いであるかという現実でもあります。
それでも彼は歩みを止めませんでした。命がけの断食、多くの使徒との大行進。
おそらく外国人だからこそ、「カースト」という不可侵領域に踏み込めたのではないでしょうか。
テレビ番組「世界ふしぎ発見」でも紹介され、ご覧になった方もいるかもしれません。
私はこの本を機に、遠い地で戦う日本人がいることを、一人でも多くの方に知って欲しいと切に願うのです。
興味を持たれた方は、ぜひぜひご一読ください!
※さらに上人についてお知りになりたい方は、『破天~インド仏教徒の頂点に立つ日本人~』山際 素男著(2008)にて。その生きざまに、度肝を抜かれることだと思います。



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