ケアンズ到着は金曜日。週明け月曜日からは、いよいよ語学学校が始まります
20年以上前の日々(26歳当時)を記憶のみでつづっておりますので、若干正確さに欠ける部分があるかもしれませんが悪しからず。ふわっと雰囲気を楽しんでいただければ。
語学学校ってどんなところ?
まずはクラスを決めます
私が通うことにしたEmbassy CESはイギリスの教育機関が運営している語学学校。
アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどの英語圏にキャンパスを持っています。入校したCairns校はリゾートホテルに隣接した2階建ての建物で、カフェも併設されている素敵な建物でした(久しぶりに調べてみると、なんとすでに閉校しておりましたが…)。
レベル別の6クラスほどと、ほかに専門コースがあったはずです。在学期間は1週間から選べて、私は当時のワーホリ規定マックス12週間(1つの語学学校在籍3か月まで←あくまで「学生ビザ」ではないので)で申し込んでおりました。初日はお母さんが車で送ってくれ(翌日からはバス通学)、プリンシパル(校長)との個人面談からスタートです。そこで少し会話を交わし、彼女がクラスを決めるのですが。希望を聞かれ「初心者クラスで…」と答えると「その方がよさそうね~」と無事?一番下のビギナークラスに決定いたしました。

ビギナークラスってどうなの?
クラスの様子
ビギナークラスには10名ほどの生徒がおりました。イタリア人の16歳の男の子を除けば、20代の韓国人と日本人が半々といった構成です。
授業自体はとっても簡単。単元でいえば「時制(現在形を過去形に直したり、進行形にしたり、簡単な完了形を遣ったり)」を重点的に学ぶ感じでしょうか。内容は中学校レベルの文法ですが、当然授業はすべて英語。はじめは頻繁に出てくる品詞の単語「adjective=形容詞」などすらわかりませんので気は抜けません。
先生は小柄でチャーミングなイギリス人女性(50歳前後)。チャイナ風の上着がトレードマークの、明るくて優しい先生で。みんなを上手に盛り立てて、和気あいあいと楽しめる授業をしてくれました。あとで知ったのですが、スクール1番の人気講師とのことでした。納得しかない。
両想いのファーストフレンドは1週間限定
授業初日、私は隣り合ったかわいい20歳の日本人女子と意気投合いたしました。ナイスバディの美人さんだけど、とても気さくな子。でもスクール内の日本人とあまり馴染めなかったという彼女。なぜか私を一目で「合う」と見初めてくれ、当然私側もシンパシーを感じておりました。
ランチ時には外のカフェに行き、放課後はショッピングをしたり、彼女のステイ先にお邪魔したり。しかしその週はなんと彼女の滞在予定最終週!週末には帰国が決まっておりました。
週単位で入学できる学校のため、毎週金曜日は卒業式です。最初の卒業式は、せっかくできたお友達と涙のお別れとなりました。
高めの学費が功を奏する
スクールアクティビティを活用
このスクールでは、ほぼ毎週末有料のアクティビティを開催しておりました。ホストマザーに「リーズナブルだし、あちこち行けるし、お友達もできるから、できるだけ参加したほうがいいわよ」と言われていたので、早速最初の週に申し込んでみました。
その週は、ケアンズの北約70kmに位置する港湾都市Port Douglas(ポート・ダグラス)の観光でした。バスで隣になった韓国人の女の子が、たまたま同じ26歳で仲良くなり。この年の独身ってどうなの?という日韓の事情を皮切りに、その日は彼女とおしゃべりをしながら楽しむことができました。
彼女の英語力はかなり高くクラスは上の方だったため、その後はスクールで会っても手を振るくらいの知人どまりではありましたが。彼女以外にも、クラス混在で色々な国の子たちと触れ合えて、せっかくできた友達をいきなり失った傷も癒され?素直に参加してよかった!とお母さんに感謝するのでした。

「ヨーロピアン多め」=「客層がいい」語学学校
ところでこのスクールの生徒は、日本人+韓国人のアジア系と、各国ヨーロピアンが半々だったのですが。他より高めのスクールだったため、とびぬけてヨーロピアンの割合が高いところのようでした。安いスクールの中には、移民のアジア系が9割を占めるようなところもあったとか。
うちの学校は、日本人は軒並みしっかり貯金アリ(あるいは休暇中)の社会人で、韓国人は休学中の大学生が多く、総じてアジア系の意識が高い。加えてヨーロピアンは富裕層と思しき人がほとんどでした。だってヨーロッパで英語の勉強をしたければ、イギリスの方がはるかに近いはずです。わざわざオーストラリアに来るのは、経済的に余裕がある人ですよね。そんなわけで、ちょっと下品な言い方をすれば客層がいいといってよいでしょうか。全体的に品のいい、質の高い施設でした。
ホームステイ仲間はパーフェクトボーイ
2週目にはホームステイ先にも、新たな仲間が加わりました。ベルギー人の同世代イケメン、ギリアン君です。
彼は専門のビジネスコースを受講していたので、授業での接点はなし。しかし学校で会うと、いつもウインクしてくれるさわやか好青年でした。しかも自国の恋人に操をたて(毎朝長電話)、女子全般に線引きしているナイスガイ。家では毎晩お母さんと英語で弾丸トークを交わし、実践を積む完璧ぶり。私なぞ横で眺めつつ(内容はほぼ聞き取れず)感心していただけですが。
ちなみに金髪美女の妹も一緒に留学に来ていましたが、ホームステイ先は敢えて別にしたそうです。とはいえ近場だったため、たまに会う機会があったのですが。残念なことに兄とは違いツンケンした愛想のない子。うちのお母さんは「感じ悪い」とあからさまに嫌っていたくらいです。まあ逆に、このくらいのマイナス要素はないと。

アジア系グループのランチタイムも最高!
異国の地にあると、往々にして同国(同母国語)同士でつるむもの。英語を学習する場なのに、と顔をしかめる先生もいましたが。
例えばヨーロピアンのみんなも、ドイツ人グループ、スイスのドイツ語圏グループ、フランス+ベルギーのフランス語グループ、イタリア人グループ、スペイン人グループがはっきり分かれておりました。裕福なヨーロピアンはバケーション感覚もあるのでしょう。ホームステイ仲間のギリアン兄妹のように、最初から「仲間」で来ている人たちも多く、チェコ人家族やハネムーン!のポーランド人夫婦などもおりました。
一方アジア系は、私の知る限り全員単独で渡豪していました。そのせいでしでしょうか。より同胞で集う習性が見られました。私ももちろん、日本人グループの一員に。さらにマイノリティ側の「アジア系」で親近感がわくのでしょう。自然と韓国人グループとの交流も増え、ランチ時にはIntermediate(中級)クラス以下の、日韓合同(+台湾人)で過ごすのも定着しました。
はじめは正直、韓国の子たちって日本人嫌いなんじゃ…と構えていたのですが(K-POP・韓流ブーム前です)。見かけだけでなく、文化や考え方も似ていることもわかってきました。
儒教の根付く縦割り文化なので、年齢が1つでも上だと「オニ(お姉さん)!」と立ててくれるのも、先輩後輩感覚で馴染みやすい。彼らは食生活を絶対曲げないので(当時は国にピザ屋さんもほぼないと言っていました)、全員自家製キムチを持参しおり、時折そのご相伴に預かることも♪
今思い返してもほっこりする日本語・韓国語・英語が入り混じる、とっても楽しい時間でした。
もちろん後々、バーベキューをしたり飲みに行ったりもします。
ティーンエイジャーの「お母さん」になる
母性が目覚める
15歳のハンガリー人女子が心配!
スクールに慣れてきた3週目、ビギナークラスにハンガリー人の女の子がやってきました。
15歳の彼女は見るからに幼いし、すごく不安そうです。
もともといた同世代のイタリアンボーイは、英語力は低いくせに(goの過去形をgoedと言ってアジア人の大人たちを固まらせた)、未成年の分際で夜にクラブで遊びまくってるような不良(といっても社交性バキバキで、みんなにかわいがられていましたが)。彼女とは相容れない存在です。気になった私は、隣に座って彼女に話しかけてみました。すると目をキラキラさせてつたない英語で懸命に話し始めます。
窮状から救わねば!?
聞けばホームステイ先で朝ご飯が出ず(朝食と夕食はホームステイ料金に入っている)、何かと扱いも良くないのだとか。憤慨した私は、授業後彼女を連れて事務局へ。
つたない英語は同じながら、こちとら大人ですから。ホームステイ先を変えるように交渉しました。学校側もさすがに未成年のことは気にかけており、すぐさま対応してくれることに。
以降、卵からかえったヒナのごとく私を慕うようになった少女リビア。私もすっかり母親と化すことに。
ちなみにこの週のアクティビティは、フィッツロイアイランドという島をめぐる小旅行。彼女も私も前もって申し込んでいたため、二人で満喫することになりました。


さらなる保護対象を発見
ほかにもティーンエイジャーが!
リビアがやって来た日のランチ時、彼女はもう一人のヨーロピアン・ティーンエイジャーと約束をしているというので、二人を我々のアジア人グループに同席させることにしました。
彼女はスイス人のシンディで同じ15歳。ところが二人は一切口をききません。ナニゴト。
欧米の学校は9月から新年度ですから、7・8月は短期留学にちょうどよい時期でした。100名はいると思われる生徒の大半は大人でしたが、その時期ティーンエイジャーが4人(目立つ)在籍していました。1人は先のイタリア人だから放置でOK、もう一人はご両親と来ているチェコ人の男の子なので問題なし。
よって単身で来ていた女の子二人は、学校側がセットにしたかったようなのです。
唯一のティーンエイジャーとはいえ仲良くなるわけでは…
しかし若干英語力に差があり、同じクラスにはならず。せめてランチは一緒に食べたらいいよと言われたので、ただ一緒になったといういきさつでした。
ところがこの二人、言葉の壁以上に相性がよろしくなかった。すっかり私に甘えるリビアに、「私は自立しているわ」といわんばかりに冷たい視線を向けるシンディ。
確かに見た目も大人っぽい彼女でしたが、こちらからすれば同様に保護対象です。あなたは困ったことないかしら?とシンディに話しかけてみると、実際はしっかり孤独を感じていた彼女は、私を「対等な友達」と認識するように。その後私は、二人の板挟みとなっていくのですが。
英語は3週で耳が慣れ、3か月で会話が聞き取れる
ぬるま湯のビギナークラスは終了
そんな波乱の?3週目、小テストで簡単な英作文がありました。確か「計算機について宇宙人に説明するとしたら」というお題だったかと。
割と張り切ったその結果、私は週半ばクラスを上がるよう通告されました。しかしクラスメイトとはすっかり仲良しだったし、リビアも気がかりだし、何より先生が大好きだったので「あなたの授業がいいです!」と訴えてみたのですが。
「あなた文法完璧(ビギナー的には)じゃない、だめよ上がりなさい」と却下されてしまいました。
嬉しいことではあります。私は高校でちょっと難しくなったところから教科の「英語」を毛嫌いはしていたけれど、確かに中学英語まではほぼ完ぺきでした。
日本の教育はやっぱり優秀。中学英文法さえマスターしていれば、実践英語はほぼ問題ありません。たいていの日本人は、使う機会がないから無用な「知識」として埋没してしまっているだけです。
でも実際に英語圏で生活して、毎日英語で授業を受けて、ネイティブ宅でのホームステイを経て。生まれて初めてアウトプットしまくりの3週間の間に、私の潜在的な英語力がちゃんと活きてきたのです。
ほぼ話せないところから、どう変わる?
そもそも日常会話に出てくるフレーズなんて、義務教育を終えた日本人なら知っているものがほとんどです。
ところが最初の頃は、実際の会話で”How are you? “と”How old are you?”の違いすら聞き取れません。中学1年生でも知っている表現なのにです。
フツーは挨拶だろうと思うところ、おおむね初対面の人が相手ですから、年齢不詳の日本人がいくつか知りたがる人も多い。”I’m fine.”と答えて怪訝な顔をされたことも、” 26 years old.”と答えて苦笑いされたことも、1回や2回じゃありませんでした。
今なら(さすがに聞き取れるけど)”you ask my age?(年齢聞いてる?)”くらいパッと聞き返せますが、当時はそんな瞬発力だってあろうはずもなく。とりあえず答えるしかないので、間違えては恥ずかしい思いを繰り返しました。
しかし失敗は成功の母。段々と慣れて度胸もついてきます。
それ以外の会話でも、はじめは相手の言葉に懸命に耳を傾けては、なんとか”Yes”や”No”の一言返すのが精いっぱいでしたが。
3週間もたつと”Yes,I am. “や“No,I didn’t.”など、徐々により丁寧で正しい文法で返せる余裕が生まれます。さらに3か月くらいすれば”Sure.”あたりが自然に出てくるようになり、”I didn’t mean that.(そんなつもりじゃなくて)”などもう少し踏み込んだ回答もできるようになるのですが。
新たな世界?pre-intermediateクラス
一つ上のクラスはどんな感じ?
さて一つ上のクラスは中級にpre(前の)がつく、初心者と中級の間になります。
クラスの構成としてはヨーロピアンが半数以上。英語に自信のないアジア人はビギナーからスタート、ヨーロピアンはさすがに大抵このクラスから、というイメージでしょうか。
内容はビギナーに比べて難しいというより、文章読解やセンテンスの文法説明が増える印象。先生のさじ加減で、まだレクリエーションが多めの場合もある感じです。
のちに他の語学学校の話も色々聞くのですが、これらクラスの名称と内容(レベル)は、大体どこも似たようなものらしいです。
人の魅力は相性次第!
このクラスの先生はドイツ出身のスレンダー美女(40歳前後)でしたが、実は事前に「人気がない」という噂を聞いておりました。以前は初級のクラスも持っていたけれど、生徒の要望で変更させられんだとか。
実際授業を受けてみると、初級の「楽しむ」授業より座学感強め。先生自体も覇気のあるタイプではなく、少々お声も小さい。なるほど、つまらなく感じる人もいるかもしれません。
しかし幸い、私には彼女が合っていました。落ち着いた大人の雰囲気が好ましかったですし、説明がロジカルでわかりやすかったからです。
往々にして人の好き嫌いは両想い。先生の方も何かと私に質問を投げかけてくれ、レベルアップを手助けしてくれました。偶然外で会った時なんて、一緒にいたご主人に「私のクラスで一番優秀な子よ」とまで紹介してくれたくらいです。
余談ですが彼女は離婚歴があり、授業で何かの折に「my ex-husband…」と元旦那さんの話を(内容は忘れました)していました。知識としては知っていましたが、実際にはこの時初めて「元=ex(エックス)」をリアルで聞いたのが印象的です。
その後は、めちゃくちゃ頻繁に使用することになる単語なんですけどね。

【閑話休題1】スイス人から学んだ世界
スイスって不思議な国
国自体が裕福なのでしょうか。うちのスクールはスイス人が常時10人以上はいるようでした。
まさかオーストラリアで、こんなにスイス人と会うことになるとは。
それにしても、それほど大きくもない「スイス」が、4つも言語をもっているのは不思議です。
一番多いのはドイツ語圏で6割だとか。確かにほとんどのスイス人がそうでした。
そしてシンディ出身のジュネーブはじめとするフランス語圏が2割弱、次にイタリア語圏が1割弱だそうですが。少なくとも私が在籍していた間に、フランス語圏のスイス人はシンディ以外いませんでした。逆にレアなイタリア語圏の方は、確実に2人はいたのですが。
もう一つのロマンシュ語に関しては、存続・保存しようとしている古代語ですから、現実的な言語圏とは少し別の話でしょう。ただ「そういう言葉もあるんだよね?」と話題にすると、「良く知っているね!」と大抵喜んでくれます。外国人が自分の国のことを知っている(興味をもっている)のは、素直に嬉しいですもんね。
トリリンガルのスイス人!
ところでクラスにやってきた、やはりジャーマンスイスの一行がいたのですが。私と同じ26歳の男の子と21歳のガールフレンド、そしてその母というトリッキーな組み合わせでした。
カップルと、彼女のお母さんが一緒に来るって…。
正直最初はひきました。しかしこのお母さん、すぐにクラスの人気者になりました。
娘のみならず、若いクラスメイトに平等に気配り目配りをしてくれる、優しいお人柄だったからです。しかも彼女は幼少期から親の都合でスイス内を移動していて、現在の常用ドイツ語以外にフランス語とイタリア語も話せるというトリリンガル。その上英語を加えれば4か国語になります!
ヨーロッパだとそれほどめずらしくないのかもしれませんが。その控えめな態度ににじみ出る知性が、みんなの尊敬をほしいままにしておりました。彼女と同じ年代になる今の私、いろんな意味で足元にも及ばない…。
あらためて保護者奮闘記
クラスが上がって1週目
ビギナークラスのリビアは?
リビアのことは気がかりでしたが、彼女もビギナークラスのメンバーと馴染みつつあったので(特に日本人の誰かが常にお世話係をしてくれた)、私は新たなクラスを楽しむことにいたしました。そちらではシンディが満面の笑みで待ち構えています。初対面時に私のことを18歳くらいだと思っていたという彼女。26歳だと判明してなお、同世代の友達だと思っている節がありました。まあいいけどね。
隣り合って授業を受ける間、彼女はいつもご機嫌です。しかしランチの時にリビアがここぞとばかりに割り込んでくると、見るからに不機嫌に。さらに私が日本人仲間と日本語で話し出すと、二人ともご機嫌斜めに。まあそりゃあそうですが。
完全な板挟みに
さらに翌週リビアがクラスを上がってきたため、授業中も文字通り二人の板挟み状態に。
この頃には日本の学生たちが夏休みを利用して短期留学に来ており、16歳の女子高生ヒトミもやってきました。
彼女はそれはそれは怯えていて、日本人以外と話そうとしません。当然心配だし「英語を話す環境を作らなきゃ」という老婆心もあって、同世代のうちの子たちと引き合わせることに。
しかし二人の反応は冷ややかでした。まずい。
しかしそこは日本人。彼女は速やかに空気を読みました。「みんな助けてくれるから、私は大丈夫だよ」離れていく彼女は、ある意味大人。ちょうど夏休みで大勢来ていた日本人の大学生たちが、彼女と一緒に過ごしてくれたので任せることに。彼女はそこで「リビアとシンディが取り合っているのに。私のことまで気にしたら、ゆかが大変だから」と言っていたそうです。
それにしてもヨーロピアンの大人たちは、娘たちのことをほとんど気にかけてくれませんでした。個人主義ってやつでしょうか。
ただ今思いかえせば、私の過保護ぶりに飽きれていたのかもしれませんが。


ヨーロッパの離婚率の高さを憂う
そんな娘たちは、まだボーイフレンドができたこともない赤ちゃんです。その上で、実は二人とも最近ご両親が離婚をし、心に傷をもつ子どもたちでした。
貧しい国と思しきハンガリーですが、共に暮らす母親が宝石デザイナーというリビアはお嬢様。お金には不自由していないようですが、お母様はおそらく忙しいのでしょう。随所に愛情の飢えをにじませる子でした。
一方シンディのご両親はどちらも教員、彼女は両親を心から尊敬し一見すると堅実な家族。ちょうどこの時期迎えた誕生日に、授業中にサプライズで学校職員がご両親からのプレゼント(指輪)を渡されるなど、ご両親の愛情はふんだんにうけておりました。しかしそれだけに両親の離婚は許せないようで、お父さんのガールフレンドの悪口をよく言っていたものです。
ホームステイ仲間がまさかのヘルプ
ところでヨーロピアンの大人は冷たいと言いましたが、私のホストファミリーであるベルギー人のギリアンは別でした。
気が付けば、折に触れてシンディとフランス語で会話してくれるようになりました。彼女が寂しそうで気になったようです。まあ学校で会った時や、登下校で(もちろんバスが同じ)同席した時に、立ち話程度ですが。それでも母国語で話せるのは癒しですからね、実際にシンディはとっても喜んでいました。
ちなみにリビアは、さすがにハンガリー語を話せる人などいないので、そこはかわいそうでしたが。すっかり甘え上手を発揮して、ほかの大人たちにもかわいがられるようになり。学校内でものびのび過ごせるようになっていたので、まあいいかな?
ところでギリアンは、いつもビクビクしていたヒトミのことも「あの日本人の子は大丈夫?」と私に聞いてくれたくらいでしたので、もともと気配りのかたまりなのでしょうね。ただ今思えば、わざわざ言動に出さなくても、ほかの生徒(ヨーロピアンの大人)たちも、それなりに彼女たちのこと気にしてたんじゃないかなあ。
【閑話休題2】フランス語圏って意外と広い
ところで私はベルギーとスイスのジュネーブがフランス語圏であること自体、この時知りました…お恥ずかしい。フランスのフランス語とほぼ同じだと聞き、国というより陸続きで隣り合った都市同士だもんなあ、と妙に感心したものです。カナダにもフランス語圏がありますが、そのフランス語は少々独特だとか。これも物理的に離れているから納得です。ほかにもモナコやアフリカの各地域(かつて植民地だったところですよね)など、40か国ほどで話されている世界的にもメジャーな言語ですが、そのことを体感したのはこの時でした(日本人にはフランス語って馴染みが薄いですよね)。ところで学校のレクリエーションでビデオ鑑賞中に、映画『レオン』でおなじみジャン・レノが出てきたところ。「この人英語しゃべれるの!」と驚くシンディに驚きました。確かに彼はフランス人俳優。シンディは、テレビでフランス語を話す彼しか見たことがなかったんですって。ちなみに『レオン』もフランス語の吹き替えで見たので、よもや英語で撮っているとすら思わなかったとまで。その辺やっぱり子どもだなあと、心の中でニヤニヤしちゃいました(子ども扱いすると怒るので)。
そんな娘たちとの限られた日々
シンディとの3週間
言葉も文化も超えてつながれる
帰りのバスが同じシンディとは、リビアが帰った後にもしばらくと共に過ごす時間がありました。そのため映画を見たり(なんと私も学割が使えた!)、途中のショッピングセンターに寄り道したり。
英語力がちょうど同じくらいだったこともあり10歳差にして同レベルの私たちは、家族のことや好きなものなど、他愛ない会話が尽きませんでした。
青い目のプラチナブロンドも、見慣れてしまえば普通の女の子です。
育ちが良くて素直で、強がりで負けず嫌い。だけど実はとっても恥ずかしがり屋さん。
かわいいなあと見ていると、彼女も突然私の顔を両手で挟み「こんなにかわいいのに、なんで彼氏いないの?」と、私も謎で仕方のないことを口にします。
私はそれまでどこかで、所詮外国人と分かり合うことは難しいだろうと思っていた節がありました。けれど人はもっと本能的なところで、単純に簡単につながれるもんだなあと思い知るのでした。
私も10代の少女扱い!?
ところでシンディのホストファミリーは、まるで家族か親戚のように彼女を大切にケアしてくれていました。国のお母様とも密に連絡しており、シンディも全幅の信頼をおいていました。
アラフォーと思われるご夫婦は再婚同志とのこと。それぞれが連れ子を連れてきていて、息子の一人はシンディと同じ年。そんな息子ちゃんとは、さぞかし仲良しになったかと思いきや。異性なので恥ずかしくて話せないというシンディ。かわいすぎる…。
そんなシンディのホストファミリーに、私が彼らに初めて会ったのは…。シンディと寄り道したショッピングモールでバスを逃してしまい、次のバスがなかなかこなくて日が暮れてしまった時のことでした。
海外で気軽に携帯を持てる時代ではなかったので、連絡を入れるか逡巡しつつ、バス停のベンチでおしゃべりしていると、シンディのホストマザーがその前に車で急停車。「ここにいたの!心配してたのよ!!」と探しに来てくれたのでした。
シンディは「ありがとう~」と笑顔ですが、16歳と一緒にいた26歳の私は内心冷や汗ものでした。未成年を連れまわして、バツが悪いやら申し訳ないやら。
しかしホストマザーはなんら意に介することなく、「あなたも送るから乗って」と気さくを絵にかいたような方。そして私をステイ先まで送り届けると、しばらくうちのお母さんと談笑して「じゃ~ね~」と去っていきます。お母さんも「彼女(シンディ)胸が大きいわねえ」と全然どうでもいい話をしていて、社会人の私を非難するでもない。どうやらどっちのマミーたちにも、私はシンディと同じ扱いのようでした。実際そうだったけど…。
16歳のお誕生日会に潜入
シンディのステイ先の息子君は、彼女に遅れること一週間、16歳の誕生日を迎えました。
その日はお友達を呼んでおうちでパーティが開催されることに。しかし人見知りのシンディは私にヘルプを求めるべく、家族に頼んでそのパーティに私を招待させることになりました。
ぶっちゃけよい機会です。欧米の子どものバースデイ・パーティ。興味ありますよね?喜んでご招待を受け、プレゼントはシンディと合同で買いました(何にしたかは思い出せない…)。
私のステイ先より少々豪華で、中庭のあるそのおうち。そこでガーデンパーティのような形で、お菓子や軽食が置かれていました。
若者向けの音楽が流れ、20人ほどのティーンエイジャーがそれぞれ思い思いに楽しんでいます。ご両親も隅にいるような健全なパーティですが、どうも仲間内で盛り上がっているようで、シンディに話しかけてくるような子はいませんでした。いてあげてよかった。あるいは私がいたからかもしれないけど。
しばらくすると、主役の少年は一人の女の子と親しげに語らい始めました。「ガールフレンド?」とシンディに尋ねると「いないはずだけど…」と寂しそうな顔をします。この時知ったのですが、同じ年齢の優しい彼に、どうもほのかに恋心が芽生えていた模様。あらまあ。
彼女ではないにしても、どうみてもいい感じの二人。なんだか一緒に、ちょっぴり切なくなる会なのでした。
スイスご一行とバーベキュー
先にご紹介したジャーマンスイスご一行ですが、さすがに同じクラスのシンディとは親しくしてくれておりました。
お母さんがトリリンガルなだけでなく、実はシンディも少々ドイツ語のリスニングができるんだとか(九州の人が東北の方言を聞く感じでしょうか)。
ということは若いカップルも、フランス語がまったく理解できないわけでもないのでしょう。そのため英語とドイツ語と、お母さんが少しフランス語を混ぜて話す彼ら。同じ国の人達よねえ、と改めて日本人には不思議な光景です。
しかしあくまで彼らは、原則自分たちで行動(お出かけなど)しますので線引きも上手でしたし、そこはシンディも心得たものでした。
初バーベキュ~
学校から徒歩10分ほどのところにビーチがあったのですが、そこに併設された公園では自由にバーベキューができました。なんと誰でも使える無料で使える、電気式の鉄板がいくつもおかれているのです。一度ボタンを押すと加熱、10分で電源が切れる仕様です。切れ忘れもないし、使い続ける時はその都度ボタンを押せばいいのですね。優秀。
そこで時々コリアンメンバーがバーベキューをしていると聞いていたのですが、このジャーマンスイスご一行がシンディを誘い、その流れで韓国人・日本人数名のバーベキューパーティを行うことになりました。初バーベキュー!みんなで買い出しをし、和気あいあいと鉄板を囲むのでした。う~ん学生ぽい!

ついにシンディ卒業
そんなシンディの学校在籍は3週間。
こういう海外での滞在の仕方を経験した方はご存じでしょうが、ここで過ごす1日1日は非常に濃密。ものすごい勢いで、出会った人との関係性は深まります。たかが3週間ですが、3か月ぐらい毎日一緒に過ごしたような感覚といってもいいでしょう。ですからついに迎えたシンディの卒業式は、私にとっても特別なもの。
卒業生は証書を受け取る際スピーチをさせられるのですが、シャイなシンディが顔を真っ赤にしながら、一生懸命みんなへの感謝を語る姿は感無量です。もちろんデジカメで動画も撮りました(データは行方不明だけれど)。翌日の帰国の際は、シンディのホストファミリーが私も一緒に空港まで連れて行ってくれ、これからも連絡を取り合う約束をして別れたのでした。
シンディとのその後
しばらくは毎日のようにメールを交わし、スイス人の子に時差を確認して、二度ほど国際電話もかけました。実はその後イースターホリデー(翌年4月)に、彼女は一週間戻ってくることになります。そのお話はまたのちほど。
リビアとの日々
リビアは延長して6週間
シンディのホストファミリーは、週末もお出かけに連れて行ってくれていましたが。リビアのファミリーは、変更後もそれほど手厚いところではありませんでした。
1週目の週末は、ちょうど同じアクティビティを申し込んでいましたので一緒に過ごし。2週目はちょうど1年に一度のケアンズ最大のお祭り「ケアンズショー」があったので、一緒に参加。屋台で日本のような射的?でゲットしたぬいぐるみを嬉しそうに抱えるのがかわいい。その後もアクティビティはじめ、一緒に過ごす時間は増えていきました。

予定変更後は、一卵性母娘
さてシンディ帰国後のリビアは、いわずもがな嬉々として私にべったりでした。
そして「学校あと2週間行くことにしたわ」と宣言。授業延長と飛行機変更。お母様は電話一本でOKしたそうですから、やっぱりお金持ち…。
まあしかしこれだけ慕われたら、可愛いのは本音です。そんな私とリビアは、もはや一対としてまわりに認識されるように。校内で私が一人でいようものなら、会う人会う人に「リビア探してるの?」と聞かれる。先生ですら「リビアならエントランスにいたわよ」と声をかけてくる始末です。
ランチはほぼデート
アジアングループの大人たちともすっかり仲良くなったリビアでしたが、ランチ時に目の前で日本語を話されるのを、ますます嫌がるようになっておりました。
ランチは大抵スーパーで買い物してきたパンやお菓子などを食べることが多いので、「外にランチ行く?」というとニッコニコに。徒歩圏内のビーチ沿いにはたくさんのカフェやレストランがあり、公園も素敵です。ランチ場所には事欠きませんでした。
さらにナイトマーケットというフードコートがあり、仲間内の行きつけでした。名前通り夜がにぎわうのですが、昼間営業している店舗もあり、そこにもよく訪れました。
恋する乙女にほっこり
実はアジアングループのコリアン男子が2匹ほど、そこでバイトをしていたのですが。その一人にリビアはほのかな憧れを抱いておりました。彼らが働くのはメインの夜(昼は学校ですしね)ですが、たまに昼間いることも。よってリビアは、隙あらばそこに行きたがっておりました。まあ眺めているだけなんですけど。一度バイト仲間の韓国人の女の子と、一つの皿から賄いを分け合っているのをたまたま目撃。「彼女かしら…」と不安がっていたのですが、コリアングループが料理をシェアするのを日常的に見ていたし、私からすれば、この二人もただシェアしているだけにしか見えません。「違うわよ~」と否定するも「だってあんなこと友達でできないわ…」と。恋する乙女、ピュアすぎる。



社会主義国的恋愛事情?
ところでその時、15歳の彼女の思い人は私と同じ26歳でした。
君にはいささかおじさんでは?と尋ねるも「学校の友達には30歳の彼氏がいるから普通よ」とのこと。これまでもその後も、ハンガリー人と出会う機会はなかったので真偽のほどは定かではありませんが。社会主義の名残で、そういう封建的に若い娘が成人男性に見初められるのもあるのかしら?とは納得。しかしやっぱり未成年相手はいかがなものか…。
幸い?意中の彼はまっとうだったので。彼女の思いに気づきつつ、やんわりはぐらかしてくれました。
そういえば台湾人男子2人組(20代後半?)が新たにやって来たのですが、その一人がある日”You’re very beautiful.”とリビアに声をかけてきました。私が横にいるのにですよ?反射的に母熊モード発動で、しばらく彼には近づかせませんでしたが(後々すごくいい人だと知りますが)。たまたま彼は圏外だったけれど、なるほど、大人の男性と恋人になる可能性は十分あるのだと分かりました。
そして最後の時
シンディが去ってから別れは現実のものとなり、リビアに対しても「この子といられる時間も限られている」という思いは強まりました。
なんならその時点で、彼女から頼られるだけでなく、いっそ共依存になっていたかもしれません。そうこうしつつ、ともに過ごす日々は過ぎ去り。いよいよ卒業の日。


旅立ちは翌朝早く、ホストファミリーが送ってくれるというので。最後にして初めて、ちょっと遠いリビアのホームステイ先までバスで送ることにしました。
名残惜しくしばらくおしゃべりをし、家の前でハグしてさよなら。
彼女とはおそらく、これが今生の別れとなると感じていました。
というのも、これだけ依存性の強い子です。日常に戻れば、そこでまた常にいる相手を見つけるでしょう。そばにいない私の必要性はない。その縁はすぐきれてしまうと確信していたからです。
案の定メールは数回で途絶えました。今も一応Facebookでつながってはいますが、メッセージを送ることはもう長いことありません。
娘ロスに陥る
二人との出会いは、私にとってかけがえのない日々だったのは事実です。思っていたのと違う展開でしたが。
リビア帰国時点で、語学学校で残された期間は1カ月。残り三分の一になっておりました。
すでにして半分以上の日々を保護者として過ごした私は、いったん腑抜け状態となります。そんな残りの学校生活と、卒業後のケアンズでの日々はまた次回~。


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