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【オーストラリア・ワーホリ体験記2003】その④ケアンズ語学学校卒業&編旅立ちまで

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もはや惰性?語学学校残り1カ月

まずは日本人の仲間に支えられる

かわいい娘たちの帰国にともない、保護者としての存在意義?を失い抜け殻のような私。
オーストラリアに来て3か月目に入る8月末、入れ替わりの早い語学学校ではすでに古株の方になっておりました。
そのせいか奮闘ぶりは周知されており、まずは学校中の日本人(知らない人も)が次々とねぎらいの言葉をかけてくれます。

私が入校した時点での在籍日本人は、20代後半の社会人ばかりだったのですが、気が付けば半分近くを若い大学生が占めております。
新学期が始まる高校生たち(娘たち含む)が卒業したその頃、少し夏休みのズレた(秋休み?)大学生たちが短期留学に来ていたのです。

社会人から見れば、普通にかわいい大学生諸君。しかも敵も、おそらく国内でいるときより上手に大人に甘えてきます。
そもそも海外で同胞の存在は大きいですし、自然仲間意識も高まります。大人と学生入り混じった日本人たち、あるいはアジア人グループでつるむようになると、また学校生活も一変いたしました。

しかし毎週末の卒業式が辛くなる

卒業式の様子

ところで先にもお話しました通り、1週間単位で入校できる私たちの語学学校では、毎週金曜日が卒業式です。
Principal(校長)から卒業生(4~5人から10数人)一人一人に卒業証書が授与され、卒業生はかんたんなスピーチで思い出や感謝を述べます。
式は多目的ホールで行われ、終わった後は思い思いに写真を撮ったり、出会い帳的なノートで連絡先を交換して“keep in touch(連絡取り合おう)”と誓いあったりもします。

参加自体は自由でしたが、在籍生の大半が参列していたように思います。
私自身1週目に爆発的に仲良くなった日本人の女の子を送り出し、涙ながらにシンディとリビアを見送って。
それ以外でも、たいてい仲良くなった(あるいはただ好きな)誰かが去りますので、毎週必ず参加しておりました。
おそらくみんなも、誰かしら別れが惜しまれる人がいたのでしょう

日本人はそもそも「別れ」に免疫がない

ところで昔何かの本で読んだのですが。
日本という国は小さな島国ですから、その昔より「今生の別れ」と思っていても、比較的再会できる可能性があったといいます。
もちろん徒歩移動しかできない時分に、何カ月も旅した先で出会った人と再会するのは困難ですし、寿命も短く簡単に命を落とす時代、会いたい人が数年後に存命していないこともままあったでしょう。
それでも大陸の民族や、海を渡ったような他国の人々よりは、はるかに「次」の可能性が高い
一度別れた人とも「いつかどこかでまた会える」という気持ちは、日本では古来から他国よりは強くあったようです。ですから日本人はそもそも「別れ」に耐性がない、というのです。

確かにその通りでした。
日本人仲間たちの卒業は、それも毎日会えていた人がいなくなるのは悲しいんだけれど、どこかで「その気になれば会える」という気持ちが残ります(実際にはそのほとんどと再会することはありませんが)。
しかし袖すり合っただけの他国の子たちは、さすがに「二度と会えない」感が半端ないのです。
それにうろたえる私と違って、欧米の子たちはナチュラルに「別れの覚悟」があるように見えました。

別れは慣れない

そんなに深いつきあいじゃない人たちとの別れ。何をさわぐ?とお思いでしょう。
しかし学生時代の「一番楽しかったクラス」を思い浮かべてみてください。毎週メンバーの変わるクラスが、毎回それだと思ってください。
それほど言葉を交わさなくても、名前を覚え毎朝笑顔で挨拶は交わし。一緒に遊びに行かなくても、たまたま外で会って嬉しくて手を振り合う。

そんな好ましいクラスメイトが、一週間単位で入れ替わっては去っていくのです。
はじめの頃は「せっかく仲良くなれそうだったのに残念だな」くらいでしたが、それが重なると「別れに対する許容量」を確実にひっ迫していきました。
慣れそうなものですが、逆にどんどん辛くなっていったのです。
どうせすぐお別れするなら、そもそも知り合う必要がないのに。そんな投げやりな気持ちすら生まれてきました。

「課外活動」が増える

授業は少しマンネリ?

毎週の卒業式での別れにも辟易していたせいでしょうか。
授業も段々と、楽しめなくなっていきました。
マンネリ化したというのもあるでしょうし、クラスが上がって難しくなったせいもあるでしょう。

私は入学時のBeginner(超初心者クラス、呼び名としてはElementaryとも)から、2週目にPre-intermediate (中級下)へ、最後の2週はIntermediate (中級)に上がった感じでした。
プレが一番長かったのですが、先生が3~4回変わり苦手な先生も。
一番上のクラスは先生こそ大好きでしたが、座学間が強めで難しい文章を読むことも出てきたのが…。そのクラスに入校直後で入った日本人の女の子は「入校面談で張り切りすぎて失敗した」と半泣きでした。

ちなみに私は上がれませんでしたが、その上にはUpper(Higher)-intermediate(中級上)があり、さらに上はAdvanced(上級)が同じようにあります。
それ以上のガチクラスもありましたが、まあリゾート的語学学校なので触れないでおきましょう。というか本当は忘れただけですが。
まあそんなわけで?授業以外で楽しむ方にシフトし、特に日本人仲間と学校外での活動が増えていきました。

初サボり!

始めは授業をまじめに受けていた面々も、2か月目くらいからは中だるみしてきます。ちょろちょろと授業に出ない輩も増えてきますが、私は娘たちがいたためまじめに参加しておりました。

しかし晴れてお役御免(勝手に)となった直後、登校すると大学生の坊や2匹が「今日なんか受業けたくない」とぼやいているところへ遭遇。
本来メッ!とたしなめるべき大人でしたが、ポロっと「じゃあ遊び行こうか~」と言うと大喜びされてしまいました。
というわけで、他の日本人に「今日僕たちとサボるわ~」と告げて、3名で近くのビーチへ向かいます。そこでSunBathing(日光浴)を楽しむ白人たちに混ざってまったりと過ごし、カフェでのんびりおしゃべりを楽しみます。

本来つるむような対象ではない若者(私も26歳でしたが)と、開放感たっぷりの非日常。
そうそう、こういう時間のために来たのよ!と、なんだか息がしやすくなりました。
まあこんなサボり方2~3回程度でしたが、自己責任でこういうのも醍醐味です。

夜のクラブ活動で壊れる

保護者モード全開の私は、「母性本能」通り越して「母親スイッチ」が常にON。品行方正な生活を送っておりました。
元来酒飲みで夜遊び好きですが、保護者ヅラしている間は2~3回バーで軽く飲んでも、バスのある時間には帰宅するくらいです。

しかし自由の身となり、日本人仲間でクラブへ行くと理性崩壊。
ナンパされたブラジル人男性にノリノリで持ち帰られ、うっかり無断外泊。
目が覚めて血の気が引慌ててきました…。
あわてて早朝ホストマザーに「友達の家で寝ちゃったの」と電話をかけると、「学校に連絡するところだったのよ!」とたしなめられました。恥ずかしすぎる…。
学校に行くと目撃者たち(というか日本人には全員)に「糸が切れたね」と失笑される始末。
しかしこれで開き直った私は、その後もクラブ活動にいそしみ、大人の営みも謳歌。
ついには日本人仲間数人に「何しにオーストラリアに来たの!」と、半泣きになるまで説教されることになります。
まあもちろんこれだけじゃなくて、ちゃんと健全なアクティビティも楽しみましたけどね。

ドライブだってできちゃう

日本と同じ左車線・右ハンドルのオーストラリア。
実は運転もそれほど難しくないことは知っていました。

ホームステイ仲間のベルギー人ギリアン君がヨーロピアン仲間でドライブに行ったり、クラスメイトで韓国人男子の運転アジア人グループが出かけたりということがありました(いずれも私は参加できなかったのですが)。
彼らにとっては国と反対の車線ですが、それでも問題なく運転できたということ。
じゃあ日本人には、より運転はかんたんなはず!
私は一応、国際免許証(手数料3,000円くらい)も発行してきておりました。そこで私の運転で、学校の日本人女子でドライブに行こうという話に。
ちなみにレンタカー屋さんでは、日本の免許証だけで車を貸してくれました。本当はダメなんじゃないのかなあ?
それほど遠出ではなかったのですが(もはやどこに行ったかはううろ覚え)、日本ではあまりないラウンドアバウト(交差点が丸くなって、どこへ行くにも左折で進める)にビビりつつ。それにしても、女子だけでキャッキャしながらのドライブ!それはそれは楽しかった。

【閑話休題】名前のお話

日本人のおなまえ(そんなNHK番組がありましたなあ)

ところでクラスに「ゆうた」という名前の日本人が加わった時のことです。とってもポピュラーな男子名ですよね。そして私の名前は「ゆか」、こちらも大変一般的な女子名です。
ところが先生やヨーロピアンの子たちが、私と彼の名前を混同するようになりました。
どういうこと?

私たちの名前は英語表記でYukaYutaとなります。これが男女名の認識がない他国の人から見ると、ただただすごく似ているのです。何かとホワイトボードに名前を書かれる(ゲーム性の強い授業が多かったので)のですが、なるほど視覚的にまぎらわしい。
そのうえで発音も最初の「ゆ」が強く、子音tとkは破裂音のため最後の母音「あ」だけが残り、パッと聞き分けできないようなのです。

この後も海外旅行をして知るのですが、たった2文字の私の名前。実はとても日本的な発音のため、外国の方には覚えにくいのです。
例えば英語で「ユー」という発音はめちゃくちゃ多いですが「ユ」単独はまずない。同様に「カ」も、「カー」や「カッ」と発音するためなじみがない。ましてその組み合わせですから、普段の言葉に絶対ない羅列なのです。そのため、まだ発音しやすい「ゆき」「ゆうこ」と間違われます。覚えてくれても「ゆぅっか」「ゆかぁ」みたいな発音です。まさか私の名前がこんなに弱いとは。

逆に最強名は「ちひろ。学校にも二人いましたが、名乗るだけで大喜びされ、一発で覚えてもらえていました。ジブリ強ぇえ。
あと男子の4文字名も覚えづらいみたいで、大体2文字に省略されます。その結果、うちの学校は「ヒロ」だらけ(「たかひろ」「ひろあき」など)になっておりました。

韓国人のおなまえ

実は日本人以上に、韓国人の名前が非常に覚えにくいんです。
まあ彼らは自覚しているので、大抵の男子はハナっから自分でつけた「アメリカンネーム」を名乗っていました。

韓国人男子のJames(もちろん007とゆっていた)とは、とても気が合って仲良くなったので、ある時「本名で呼びたい」と韓国名を教えてもらいました。その名は私には「チュンヨン」と、憩えるのですが。どうもそう発音すると伝わらない。何度も言い換えてチャレンジしたのですが、ほかの韓国人に伝わらず、最終的にそう呼ぶことを断念。彼は私にとって、永遠にジェームス君になりました。
さらに最初にお友達になった韓国人女子「ジーヘイ」も、どうやらずっと言い間違えだった(本人が返事してくれるんだもん)ことを後に知ります。むずい。彼らからは日本名(日本語の発音)はすごく簡単みたいなんですけどね。

ヨーロピアンが多かったので、割とわかりやすい名前がおおかったうちの学校。東南アジア諸国やアフリカ系などの名前もきっと難しいはずですが、そこらへん出身の生徒がいなかったので、日本・韓国の人名の難解さが目立ったというお話でした。

スーパーReceptionist!

学校の入口には受付があり、オージーのReceptionist(受付嬢)が常駐していました。
実は彼女ものすごい人物。入校3日目くらいに「モ~ニン」と声をかけると、さらりと”Good morning, Yuka.”と返してきました。
聞き間違いかと思いました。え?名前覚えている?

何を隠そう彼女、100名はくだらない在籍生の、顔と名前が全員一致していたようなのです。
1週間単位で入れ替わる、外国人ですよ?先にもあげたように、仲良くなっても覚えづらい名前もですよ?アジア人なんて、見た目の個体識別も難しいはずなのに。
こんな鉄壁のセイフティあります?部外者一瞬でばれます。
まあどの程度完璧かはさておき(本当に全員覚えているかチェックしたわけではないので)、いずれにせよ、ものすごい特殊能力なのは確かですね。
ただ一応オチはあって、卒業後遊びに行った時には、誰?って顔されました。ちゃんと忘れられている。それもすごいですよね、必要な情報だけ取捨選択できるってことでしょう?
いやあ、いろんな人がいるものだ。

つつがなく卒業の時

そんなこんなであっという間に1カ月が過ぎ。ついに自身の卒業となりました。
直前の授業で、それぞれの好きなものの話をしていて、私はこの世の何よりビールが好きだと発表。小柄な日本人女子なのでまあまあウケ、調子にのったワタクシ。
卒業スピーチで「みんなありがとう、楽しかったよ」的な鉄板のくだりの後“So my favorite is…?”とクラスメイト達を見やると、“Beer!”と声をそろえて応えてくれました。
若干スベって恥ずかしかったですが、まあ大人しい日本人に、少々変な奴がいるのも一興でしょう。
今まで卒業式は悲しいばっかりでしたが、自分の卒業式はむしろ晴れ晴れとした気持ちでした。
前日にはホームステイ先も引き上げ、日本人の友人に紹介されたシェアハウスに引っ越し済みでしたので、これからの何にも縛られない日々が改めて楽しみで仕方ないのです。

改めてケアンズってどんなところ?

ケアンズってこんなところ

ケアンズの気候

ケアンズは、北東に位置するクイーンズランド州の湾岸都市です。
州自体が日本本土の5倍の面積ですから、ケアンズだけで九州よりはるかに大きな町になります。分布は熱帯地方にはなりますが、常夏というほどではありません。以前もお話しましたが、日本で言えば亜熱帯の南西諸島(奄美・沖縄)に近い気候です。
滞在中の6~10月は、四季でいえばにあたる(南半球なので)時期でしたので、夜間など少々ひんやりしてフリースが恋しい時もありました(持っていかなかったし、売ってもいなかった)。
実際の季節区分は雨季と乾季の二季のみで、この時期は乾季でしたから、4か月間雨は一度も見ませんでした。逆に言えば雨季は、梅雨どころじゃない雨続きということですよね。

アクティビティの数々

ケアンズは海山両方の世界遺産があるため、州きっての観光地と言えるでしょう。
海洋沖には、かのグレートバリアリーフが広がり、陸地には湿潤熱帯地域のレインフォレストや、赤茶けた乾燥地帯も見られます。
海ではスキューバダイビングなどのマリンスポーツや海洋クルーズ。陸地では山登りや高原のドライブ、川でのラフティング。そのほか乗馬や、野生のコアラやカンガルーと会える場所や、触れ合える施設。バギー、バンジージャンプ、スカイダイビング、熱気球などのアクティビティ。数え上げればきりがありません。実際に私の体験したものは、後述していきます。

仲間内のホーム! CityPlace(シティ・プレイス)

ケアンズの中心街

ケアンズは自然も豊かですが、中心は整備された近代的な街並みで、周りにはベットタウンが広がっています。ホームステイ先はそんな場所の一つで、名前通り遠くに海を見渡せるBayviewHeights(ベイビューハイツ)という閑静な住宅街でした。
中心街はCity Place(シティ・プレイス)と呼ばれ、学校はそのすぐそばにありました。
シティ・プレイスといえば外洋に面した海外沿いの遊歩道Esplanadeエスプラネード、日本人は略してエスプラと呼んでいました)。ホテルやレストランが立ち並びフェスティバルなども開催され、いつも観光客や地元民でにぎわう通りです。私たちワーホリメーカーや学生の行きつけはNightMarketsナイトマーケット略してナイトマ)。安いフードコートや露天商的なお土産物屋さんがひしめく楽しいエリアでした。


エスプラの突き当りには観光地Fitzroy Island(フィッツロイ島)へ向かうフェリー乗り場、手前にはLagoon(ラグーン)と呼ばれる人工ビーチ(海水プール)があり、併設された芝生の広場で人々は思い思いにくつろいでいます。先にサボりに来たのもここです。無料のBBQ施設もあって、そこもよく利用していました。

エスプラから内陸に徒歩で15分ほどのところにケアンズ駅(主に貨物列車の路線)があり、そこに隣り合うショッピングモールCairnsCentralケアンズセントラル略してケアセン)までが、いわば私たちの庭でした。
暇な時はとりあえずエスプラかケアセンへ。ケアセンでは学割で映画鑑賞できましたし、フードコートで食事したり、スーパーで日用品を買ったり。シェアハウスに引っ越して自炊するようになってからは、近くの市場で珍しい果物を冷やかすまでが常でした。

バーが充実?クラブも!

海外ではたいていお酒の販売が厳しく規制されていますが、オーストラリアでも18時以降には購入できませんでした。昨今外国人観光客が日本のコンビニでお酒を買って路上で飲むのは、それ自体がめずらしいことだからですもんね。
公園など屋外の飲酒も禁止されていましたが、その分シティ・プレイス界隈には、レストランやダイナー・カフェに加え、小さなバーがたくさんありました。ご陽気な爺さんたちが、昼間からあちこちでグラスを傾けていた姿が懐かしい。お姉さんたちの美しいお胸が外から見える、素敵なトップレスバーもありましたね。
映画『コヨーテ・アグリ』さながらのショーがある店では、女子会をして盛り上がりました。

クラブが3件あったのですが、Aは水曜日5ドルでドリンク3杯付、Bは火曜日入場無料など、サービスデイに合わせて若者たち(年配の人もそこそこ)が通っていたものです。
私がぶっ壊れる下地は十分だったのが、わかっていただけますでしょうか。

日本人向けのサービスは充実

日本人スタッフ運営の無料サービスセンター

学校から徒歩5分ほどのところに、日本人向けの無料サービスセンターがありました。
画像の荒いカメラ機能とテキストメールがやっとかっとの、ガラケー時代。シェアハウスやバイトの情報が書かれた掲示板(紙が貼られたガチの)が設置されていたり、ネットの使えるパソコンも自由に使えたり、なくてはならない施設でした。日本人向けに月一発行されるフリーペーパー(日本語の活字に飢えているので、皆むさぼるように読む)が3種類ほどあったのですが、その配布場所でもありました。
バックパッカー向けの安いツアーのパンフレットもたくさん置いてあり、常駐している日本人スタッフが、申し込みの代行もしてくれました。加えてバス・電車・飛行機の手配まで!片道切符で来た日本人は、たいてい帰国まで何回もお世話になります。私自身大活用させていただきました。
いずれにせよ、そこに行けば何かしら有益な情報が得られましたので、我々ワーホリメーカーが定期的に訪れる、オアシス的な場所でもありました。なんなら友達もできます。
ちなみにこの後訪れる、シドニーやパースなどの大きな町にも同様の施設があり、新しい町では最初の目的地になります。

銀行や病院も無問題!

住所(郵送先)があれば、国内大手の銀行ANZbank(オーストラリア・ニュージーランド銀行)に口座を持つこともできました。私はホームステイをしていた際に、そこの住所で登録させてもらってOKでした。口座開設には、前もってお願いしていると、なんと日本語を話せるスタッフが対応してくれます。
私は30万円のトラベラーズチェック(昔は海外で必須の小切手です)で生活費を持ち込んでいたのですが、手数料なしでそのままそれを口座に入れてもらえました。さらにATMで24時間引き出し可能で、手数料も無料です。これはとっても便利でした。

また病院にかかる際は、健康保険がありませんので実費でかなり高額ですが。日本人は海外旅行保険に入って入ればたいがい無料で受診でき、日本語通訳も随行してくれる手厚さでした。一時帰国費用で、おばあちゃんのお葬式に帰れた子もいました。
ちなみにほかの国の子たちは、保険に入っていても通訳サービスなどあろうはずなく。のちに保証される対象のものでも、いった実費で支払わないといのが原則でした。20年前の話ですが、日本ってほんと優秀。

日本食だって食べられる♪

海外で生活して1週間もすれば、大抵の日本人は日本食が恋しくなるはずです。
幸い日本食は世界中で大人気。ケアンズにも寿司レストランや和定食の食べられるお店はもちろん、日本風居酒屋までありました。
しかもこれらの店は、地元日本人割引があります。常連になることを見越しているだけでなく、同胞へのサービス精神もあるのでしょうね。お店の人は観光客と長期滞在者の区別がつくので、黙っていてもお会計時にメニュー表示の2割くらい引いてくれるのが嬉しい。
日本の食品を扱っている小売店もありました。BBQではお好み焼きパーティになることも多く、マヨネーズやオタフクソース(無論日本の3倍くらいの値段ではありますが)をここでゲットしたものです。お金持ちの子が7ドルのUFOを買っているのを、うらやましく眺めたこともあったなあ。

ケアンズCairnsを遊び尽くして旅立つ!

ブレイズヘアに挑戦!

日本人女子はまあモテる

ところで話には聞いていましたが、日本人女性は海外で普通にモテます。ケアンズの町中を歩いていると、なんならブロックごとに男どもが声をかけてきます。
はじめはちょっと浮かれますが、すぐにうっとうしくなります。なぜなら奴らは、ビール飲んでセックスすることしか考えてない、お気楽オージーどもだからです。“hello!”“how are you?”のあと”You are beautiful.”まではもはやセット。ハイハイ。
しかしその明るさはちょっとうらやましい。
歩く方向が一緒になって、ずっと話しかけてくるオージーをガン無視していた時のことでした。
分かれ道に来たところで、彼は「僕こっちだから残念」というどうでもいい報告をしたあと「日本人って本当にシャイだね!」と言いながら笑顔で去っていくのです。腰が砕けそうになりました。ポジティブがすぎます。

ところで異様にモテる子がいて(童顔に美脚のギャップ女子)、彼女にいたってはすれ違う車という車に、口笛まで鳴らされていました。この子と二人でいると、ナンパされる率はさらにあがる。一緒にクラブに行って、イケメンアメリカ人とダブルで引っかかりフィーバー(死語?)した思い出も。
ちなみに彼女はのちに、在豪中に出会ったイギリス人男性と結婚します。

ナンパに反発!

モテ狙いだった黒髪ロングストレートヘアでしたが、軽薄なナンパ野郎しか寄ってこないことに苛立ちはピーク。髪を切ろうかな?と思い始めた頃、街で見かけたブレイズヘア(レゲエ風の細かいみつあみ)が気になるように。
てか、これって今しかできないんじゃ?ここの風土にもすごく合ってるし!
するとケアセンの美容室で、120ドルという表示を発見。もうやるしかない。
黒人美容師さん二人がかりで2時間弱でしたでしょうか。完成した時に、通りがかったティーンエイジャーの女の子が店をのぞき込んで、”She is gorgeous.”と言ってくれたのが最高でした。
ちなみにgorgeousとは、日本でいうゴージャス=派手・華やか、ではなく”very very beautiful”という意味です。

それにしてもトリッキーな髪型かと思いきや、ナンパは減りも増えもせず。
卒業した語学学校に遊びに行っても、知り合いたちに「それいいね~」「似合ってるよ~」と軽く言われただけでした。ここでは別に普通だったみたいです。

シェアハウスという自由

女子寮のようなシェアハウスに

さて、卒業=ホームステイ終了に伴い引っ越しを余儀なくされることとなった私。
ケアンズのアクティビティを一カ月で満喫しきって、次の町シドニーへ移るまでの仮の住まいです。語学学校で死ぬほど気が合っだ、大好きな友人が住んでいたのが日本人女子専用シェアハウスでした。そこがちょうど一部屋空いたので、オーナー(オージー男性で奥さんは日本人)に紹介してもらい入居できました。ホームステイも良い経験でしたが、やはり人見知りの大人には窮屈でもありました。引っ越し後は自由感半端ないし、友達と暮らすのも嬉しくてしょうがない。そんなわけでゆったりまったりの夢のような日々が始まります。

日本人女子6名が暮らす

それぞれの部屋に、共通エリアのキッチン・ダイニング、シャワー・トイレ。
シェアハウスというより寮のようなイメージのそこでは。語学学校とはまた違う、シェアメイトとの出会いも楽しい。
英語科卒で英語上級者の子は、おっとりとしたかわいい女の子。バイトをしつつ友達をたくさんつくっておりました。しっかり者で200万の資金を持って渡豪してきたという子は、それを減らすことなくバイトでむしろ稼いでおりました。彼女はアメリカ人男性の恋人と遠距離中で、その後二人でアジアをバックパッカーまわり、結婚して渡米します。
女の子ばかりのシェアハウスは危ないと、オーナーも良く見回りに来てくれていました。
誰かが訪ねてきたら、必ず“Who is it(どなたですか)?”と確認して、知り合いじゃない限り決してドアを開けないように!と口酸っぱく注意してくれたものです。
オーナーの奥さんとも一度会い、彼との運命的ななれそめなどガールズトークも楽しみました。

アクティビティをやり尽くす!

さてケアンズで体験した、アクティビティの数々の思い出を写真とともに。到着直後のバンジージャンプのお話は割愛いたします。よろしければ前回の記事を!

また学校主催のアクティビティについても、すでにポートダグラス(Port Douglas)、フィッツロイ島のお話はさせていただきましたので、それ以外からお話したいと思います。
ちなみに費用はおおむね、バックパッカー向けの安いもので50~150ドル(1万円前後)くらいだと思っていただければよいかと。

熱帯雨林の広がる山の観光地【キュランダ】

まずはケアンズからほど近いキュランダ村(Kuranda)日帰りツアー。
ケアンズ駅からの列車が有名で、日本の観光山と同じくロープウェイも人気です。
ただ安いツアーの足は、シティ・プレイスからのマイクロバス。学校のアクティビティと、個人で友人と一度行きましたが、私はいずれもこの安いバスでした。
キュランダ郊外にはレインフォレステーション・ネイチャーパーク(Rainforestation Nature Park)があり、熱帯雨林の動植物が観察できます。遊歩道を散策したり、併設された小さな動物園も楽しめます。幸せの蝶と呼ばれる青い「ユリシス」も見ることができます。気持ちのいい自然を満喫できる、素敵な場所です。

キュランダ中心地はザ・観光地。様々なクラフトショップでお土産品が並びます。私は蝶(虫全般)が苦手…ですが、このユリシスピアスは一目ぼれ。
ハート形に成形されたローズクオーツが山積みされていて(5ドル)「恋愛のおまもりだよ、これだって惹かれるものを選ぶといいよ」とショップのお兄さんにいわれ選んだものも。効果のほどは定かではありませんが、今も宝物です。

赤土に奇岩!鉱山の町【チラゴー】

一般の観光地というよりは、バックパッカー向けのワイルドツアーでお馴染みチラゴー(Chillagoe)。鉱山で栄えた小さな町で、製錬所遺跡やアボリジニの壁画、大小さまざまな洞窟(鍾乳洞)を観光することができます。
学校主催の一泊キャンプで、テントのそばまで野生のカンガルーがやってくるような場所でした。とはいえこの時点で、カンガルーは奈良の鹿ぐらいの感覚になっていたので珍しくはありませんでしたけどね。野生のコアラもまあまあ普通に見られます。
いずれにせよ景色は圧巻でした。ブログタイトル背景のブーゲンビリアは、ここで撮った写真です。

最高の思い出【ラフティング】

こちらはバックパッカー向けの川下り(rafting)体験。学校の日本人仲間で参加しました。
雨季の水量は怖いくらいだけれど、乾季なのでちょっと水が少ないかも…と聞いていましたが、いや十分でしたね。
大きなゴムボードをみんなで漕ぐのですが、激しく揺れるポイントがいくつかあって、ガイドが降り落としにかかってくれます。海のバナナボードできな感じ。これで一番軽い子が、見事に宙を舞って水中へ。その時の仲間数人は今では20年来の付き合いですが、この時の彼女の舞いは語り草です。

フィッツロイ島貸し切りのフェス【アースダンス・ケアンズ】

語学学校卒業直後の週末。すでに2度日帰りで訪れていたフィッツロイ島で、Earth Danceというすてきなイベントの参加を申し込んでおりました。ケアンズの非営利コミュニティ植樹団体Treeforce Association, Inc.を支援するもので、島全体が緩いフェス会場となる素敵な催し。参加者は100名以上はいたと思われます。
島のホテルが貸し切りとなり、私たちはそこの安いドミトリーに一泊しました。私自身は正直音楽に疎く、レゲエ系などあまり興味はなかったのですが。大好きな友達と三人でまったり美しい島で過ごす、最高の贅沢を味わうことができました。

美しい砂の島【ミコマス・ケイ】

奄美諸島は与論島に百合ヶ浜という干潮時に現れる美しい砂の島があります。
オーストラリアはケアンズにあるMichaelmas Cay(ミコマス・ケイ)は、それの大きい版(沈まない)の砂州とでもいえるでしょうか。片道2時間ほどの、日帰りクルーズ船が何隻も運行されています。白い砂、青い空、海は奄美大島出身の私も感動の透明度。半潜水艦とシュノーケリングでその美しさを体感できる、夢のような場所です。
島に上陸してすぐに、沖合を泳ぐカメを発見。” Turtle!”と叫ぶと、周りの人たちもみな嬉しそうにそちらに目線を向けます。世界中の海好きに激推しの場所でした。

思ったのと違う!【グレートバリアリーフ・ダイビング】

地元奄美大島のビーチは、基本はリーフ(外洋との干渉部分、白波がたつ場所)で囲まれたラグーン(浅い水域)です。その中はサンゴ礁地帯となっており、いわば自然のプール。
私はダイビングのライセンスをそこでとりましたので、ボートで数分の沖合から潜ったり、浜からそのままエントリーしたりといった感じでした。

ケアンズと言えばグレートバリアリーフですから、私は単純にそんなビーチが何百キロも続いている、天国のような場所なのだと思っておりました。しかし実際ビーチから、リーフは全く見えず外洋に面しているとしか思えません。というのも、リーフの規模が違うんです。
船で数時間沖にあるため目視できず、深さもあってサンゴ礁も全体にあるわけではなく、塊がそれぞれ点在している状態になるのです。
私の知っているリーフを、グンと拡大させた(間も広がる)感じでしょうか。
よって「グレートバリアリーフのダイビング」は、必ず船で数時間かけてサンゴ礁のポイントに行かなければいけません。
というわけで私は日帰りのクルージングと、ナイトダイビングもできる一泊(停泊した船内で)のツアーに参加してみました。

さてそうしてたどり着いたポイント。どれだけ大きいなサンゴ礁地帯かと思いきや、広い海原にただポツンと大きなサンゴがある感じなんです。
ん?これなら奄美で、一つのビーチからそのまま入る一帯の方が大きいんじゃ?
そう、こんなポイントが広く点在しているということは、その一つ一つは人間の視点からはただの小さな塊です。もちろんナイトダイビングは神秘的でしたけど。
楽しかったのは確かですが、正直騙された気分も。船の一泊は船酔いもつらかったし、もう一生行かないな。

できなかったこと【スカイダイビング】

これはまず費用的に二の足踏んでしまったものです。バンジージャンプが1万円ほどでしたが、スカイダイビングはヘリ飛行ですので、3~10万近いものに。
この値段の差は、高度の違いです。安い(高度の低い)方に参加した子に話を聞くと、アッという間すぎて浮遊体験できなかったということ。やるなら思い切って、高い方にしなければいけない。そちらを体験した子は、撮影されたDVDもあって大満足だったとも聞き及んでおりましたし。
しかしまだワーホリ前半段階で10万はエグい。現実的にあきらめざるを得ませんでした。まあその気になれば日本でもできることだし…。
とあれから20年。もちろんまだ未経験です。やっぱり生きてるうちに一度はやりたいなあ。

そうして旅立ちのとき

次の町を決める

ワーキングホリデーは語学学校とお仕事が、一カ所につき3か月(2003当時)できるものです。
学校を移ってまた3か月通うという手もありますが、資金繰りの問題で難しいですよね。バイトと同時進行している人もいましたが、楽しめな~い。
ということは、いずれにせよ次はお仕事探しです。

ケアンズでこのまま仕事を探すか、次の町へ移るか。
街中だとまず土産物店旅行会社。しかし土産物は「日本人観光客」相手で英語を使わない、何しに来た?な内容が多く、逆にツアー系は激務と聞き及びます。
そのほかではファーム(農場)系が多いですが、虫がヤバいと聞き怯みました。
それならいっそ都会へ行こう。というわけでシドニーを次の町に定め、シェアハウスでも同じだったユミと、ルームシェアしようと話し合いました。

爽やかさに欠ける潮時が来る

行き先は決まりつつ、まだ自由を満喫していた私。相変わらずクラブ活動も展開しておりました。
3件のクラブをはしごしていると、ある時“I know you.”と一人の男性がにこやかに近づいて来ました。最初に夜を共にしたブラジル人男性です。二度目はないわ~と思っていた相手なので、アハハ~と苦笑いすると、察して去ってくれましたが。やれやれ。
と思ったら別のクラブで、やはり一夜をおともにしたオージーガイと遭遇。その方は「どうやったらまた会ってくれる」と少々しつこかったので、「残念だけど私、来週には帰国するのよ」と大嘘をついておりました。もちろんその時点で、とっくに来週を通り越しております。
「まだいたんだね…」と悲しそうな顔を向ける彼。

ヤバい。もうこの町にはもういられない。
というわけで爽やかさには欠ける、急ピッチの旅立ち準備が始まりました。

航路選択に驚かれる

ところで島出身の私にとって、飛行機はぶっちゃけバス並に身近な乗り物です。そもそも電車が存在しませんが。進学や就職で地元を離れた人間にとって、年2~3回のフライトはなんなら不可避。
なので「ケアンズからシドニーへの移動」を、私は単純に飛行機しか思いつきませんでした。
しかしほとんどの人は、電車やバスの陸路をまず考えるらしく…周り中に驚かれ、私が驚く羽目に。
まあケアンズからシドニーであれば、大抵の人はブリスベンはじめ途中の町も訪れたい、という思いがあるからでもあります。しかし私はケアンズでワイルドアクティビティもまあまあ満喫しましたし、グレートバリアリーフで少々がっかりしたので海はおなか一杯
もう次はまっすぐ全然違うところ(都会)に行きたい、と途中下車にも惹かれなかったのです。
日本にはまだLCCがなかった頃。しかしオーストラリア国内には、バージン・エアという航空会社が、アホみたいに安いチケットを販売しておりました。その後も私の足となるこの航空会社。片道3時間のケアンズ→シドニーも、1万円ほどだったと記憶しております。
というわけで、私は迷わず航路へ。心はすでにシドニーでの新たな冒険へ。
楽しかったケアンズではありますが、なんら思いのこすことなく旅立つのでした。
さて次は、シドニーお仕事編の始まりで~す!

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