幼少期の思い出編|世界は不思議に満ちていて
「生きている」ってなんだろう?
幼い時分、誰しもそうなのでしょうか。
この世界とまだ折り合いのつかない私は、よく現実から乖離しているような感覚を覚えておりました。
幼稚園でお友達と遊んでいるさなか、突如として「なぜ自分がここに存在しているのか」不思議で仕方なくなり。そもそも世界はいつ始まったのか。この世の果てはどうなっているのか。
特別賢い子どもでもないのですが、ふとした瞬間にそのことを考え始めると、収集がつかなくなりパニックになるのです。
やがて「死」というものを知るようになると、自分はおろか絶対的存在である両親も、いずれ消えてしまうということに行きつき。この世界は一体何なのか、そもそも何のために生きているのか。
定期的に恐怖の発作に見舞われ、母親に泣きついたものです。
透明でふわふわの気配
そんな子どもだったからでしょうか。現実と夢との境目が少々あいまいなところもあったように思います。
小学生の頃、両親が共働きのため家に帰ると誰もいないのはいつものこと。年子の妹が先に帰っていることもありますが、私たちは習い事も多く友達にも恵まれていたため、たいていどちらかが出かけてしまいます。
そのため一日のうち、家の中で一人きりになる時間が必ずと言っていいほど訪れました。
それを待ち構えていたように、ふわふわただよう透明な気配を感じました。そして閉めていたはずの障子がゆっくり開くようなこともしばしば。
しかしそれは私にとって奇異なことではなく、例えばドアを開け放しにしていて野良猫が入り込んだり、急な訪問者に対応したりするのと同列な家の中での「できごと」でしかありませんでした。なんならわざわざ言わないだけで、みんなにも起きている日常の出来事だと。
空中から滴り落ちる水
確か小学校3年生の頃。自分の勉強机で本を読んでいると、目の前に水が落ちてきました。
上に作り付けの棚があったので、何か水物が漏れてしまったのかな?と思い見てみるのですが、何かがしみだしてくる感じはありません。
おかしいなあ、とまた本を読み始めるとポトリ。小さな水滴ですが、放っておけばやがて机が水浸しになるかもしれません。
再度棚の方を見上げ目をこらしていると、またポトリ。
そこでようやく気が付きました。
その水は、座っている私の目線より少し上の空中から落ちてくるのです。
うーむ、これはさすがに不思議な「できごと」だと気づきます。結局その後2、3滴で水は止まり、同じようなことは二度と起きませんでした。
ただ、もしかして私のまわりで起きていることって、普通じゃないこともあるのかなあ?とは感じるようになったきっかけとはなりました。
写真って動くよね?
同じく3~4年生頃の出来事です。
ところで私は「カメラ」というものがとても好きでした。新し物好きの父は、早々にビデオカメラも手にしておりましたが、私はある一瞬が「写真」という1枚に収められることが、非常に魅力的に思えておりました。
当時カメラは比較的高級品でしたが、遠足などイベントでは子どもたちにも持ち出しが許されました。
それぞれが思い思いに撮影、とはいえデジカメではありませんから一回勝負です。ネガ代も現像費用もかかるというプレッシャーも、いっそ高揚感をもたらしました。
そんな子ども心をくすぐる簡易カメラに、科学雑誌の付録で出会った時には大興奮したものです。仕組みは忘れましたが、紙で組み立てられて本物のネガをセットできるようなものでした。
私はそれで友達や家族を写しました。そして現像した写真は、動きました。
撮影した前後10秒ぐらいの動画が記録されているのです。私は「こういう写真も撮れるんだ」と普通に受け入れました。
実はこのことは、大人になってデジカメを初めて手にしたとき、「あれ?でも子どもの時も、普通に数秒の動画は写真に映ってたよね…ん?それっておかしくない??」と急に思い出したのですが。あるいは夢だったのでしょうか。
「こっくりさん」が大ブーム
オカルトは子どもの大好物
私が子供の頃はオカルトブームまっさかりでございました。
「ノストラダムスの大予言」の本はベストセラー、霊能力者宜保愛子さんの特番がお茶の間を席巻。
怖いけれどついつい引き寄せられてしまう。大好きなキョンシードラマはフィクションだとわかっていても、夜中に風が強くてドアに何かぶつかる音が聞こえると「もしやキョンシーが来たのでは」と怯えながらも。
そんな中、世の学校関係者を悩ませていたのが「こっくりさん」でした。
「憑依」される子どもたち
その時代、休み時間や放課後など、いくつもの「こっくりさん」集団が発生しておりました。
「幽霊を呼び出す」ことで、みんなの指をのせた10円玉が勝手に動き出す。そしてお手製の文字盤で、あらゆる質問に答えてくれる。こんなおもしろいものが、流行らないわけがありません。
当然私も夢中になった一人です。
まあ自己催眠ですよね。何人かで置いた手で、みんながちょっとずつ動かしているわけだし、潜在的に望んでいる動きになるだろうし。大人目線で振り返れば、故意に動かしていた手練れもいることでしょう(当時は疑いもしなかったけれど)。
そこでは秘密が暴露されたり、誰かが悪意の標的になったりもしかねません。しかし信じるほどに、その効果におぼれます。学校で禁止されると「本物だからだ」と解釈してしまいます。
ある時「呼び出した霊」は「かこになる」と伝えてきました。
その時のメンバーの中に「かーこ」というニックネームの子がいたので「彼女になる」ということだと解釈し皆パニックです。当人もぼーっとした感じになり、ほかの子は半べそ状態でした。
とはいえ翌日は何事もなかったように普通に戻っていたのですが。
良くも悪くも柔軟な子どもたち。そんな「憑依」は、全国津々浦々で簡単に起きたことでしょう。
本当は子どもも冷静
とはいえ、おおむね子どもたちは半信半疑でした。
もしかしたら本当に霊現象かもしれない。偶然か自然現象の可能性もある。誰かが意図的に操作しているに違いない。冷めた目で遠巻きに見ている子も少なからずおりました。
正直段々飽きてもきますので、ブームも下火になってきます。
それでも「集団ヒステリー」のようなことも起き、当時の大人たちは看過できなかったことでしょう。大人になって教育関業に携わった私は、先生たち大変だったろうなあと申し訳なく思います。
それでも実際にそんな悪ふざけは、やはり怪異のモノを呼び寄せていただろうとも感じます。
イマジナリーフレンド!?
「こっくりさん」が呼び寄せた「友達」
そんなブーム終盤に「こっくりさん」にいそしんでいたときのこと。私はそこに、同じ年齢くらいの女の子がいると感じました。
文字盤で尋ねると、戦時中に命を落とした「ポーちゃん」という少女だということでした。
当時学校のような大きな施設は、なんらかの「戦争」の爪痕を感じさせる場所でした。学校の七不思議などもそれに由来することが多いはずです。
私はこの時「この幽霊は本物だな」と感じました。それまでも完全に嘘だとは思っていなかったのですが、ほとんどの子同様イベント的に楽しんでいたのが本音です。
しかし「ポーちゃん」は、いるなと。
その後は、こっくりさんをしていなくても、その気配をそばでよく感じておりました。それでもはっきり見えるわけでも聞こえるわけでもないので、やっぱりどこかで「気のせいかな?」という疑いも捨てきれませんでしたが。
不思議に引き寄せられた三人組
この時とっても仲のいい女の子が二人いました。
今思えば不思議なのですが、ものすごく通じ合っていたのに、この学年一年間きりのつきあいなのです。
私は二人のことが大好きすぎて、放課後許す限りずっと一緒に過ごしておりました。そして「ポーちゃん」のことは、二人も私と同じように感じているようでした。だから3人にもう一人準メンバーの立ち位置という仲間になっておりました。
ある時この三人で地元の公園に遊びに行きました。地元で信仰の対象になっている山に位置する公園です。校区外だったのに、なんだかものすごく行きたくなったのを覚えています。
そこに行った後いつも以上に別れがたすぎて、一人の家にそのまま勝手にお泊り計画をたてました。とはいえ10歳の子どもたちの所業。簡単に許してもらえず、それぞれ親に連れ戻されてしまうのですが。
実はその夜、三人三様、熱発いたしました。次の日三人とも学校を休んだので、その翌日互いに欠席だったことを知ってびっくりすることになります。そのくらい、私たちには何かしらつながりがありました。
初めての心霊写真
ある時一人がカメラを持ってきて、みんなで写真を撮ろうということになりました。
交代で二人ずつを写しながら「ポーちゃんも写って」と声をかけてみることに。
後日現像した写真には、いわゆるオーブというのでしょうか。白い影が随所に写り込んでいました。
この時私たち三人は「ポーちゃんがこたえてくれた!」「やっぱり彼女はいたんだ!!」とようやく本気でその存在を認めたのだと思います。
先にお話したように、学年が上がりクラスが別々になると、三人で会うことはぱったりなくなりました。嫌いになったわけでもないのに、なんとなく「他人」になったのです。
そしてその頃には、「ポーちゃん」の気配も感じなくなりました。
彼女が、私たちを結び付けていたのでしょうか。
ちなみに私が人生で撮影できた?心霊写真は、これが最初で最後です。この写真は、確か高校卒業するころまではあった(折に触れて誰かに見せていた)のですが、その後は目にしたことがありません。
中学生の頃は幽霊だらけ
人と幽霊がいっぱい
中学生になると、バキバキにいろんな気配を感じるようになりました。
マンモス校で生徒が多く、基本どこに行っても人だらけの中。あきらかに人じゃないものもたくさん混ざっているのを感じました。
またそういうのが敏感な友達も数人いました。見えない何かに一緒にぶつかられたり(怖いより腹立たしい)、授業中に入って来た「人」がいたね~と話し合ったり。
全然何も感じないという友達は「あんたたち怖い」とまゆをしかめていましたが。
みんなに疎まれている子の肩に…
霊感の強い友人の一人で、みんなに距離を置かれている子がいました。
確かに気が強くて「生意気な」態度の女の子です。ただ私は彼女が好きでしたし、彼女も私には一切嫌な態度をとりませんでした。
かわいいしいい子なのに、なんで嫌われるかなあ?と思っていたある日、彼女を後ろから見ていると、肩に何か違和感が。
するとそこに爪の長い大きな「手」が乗っているのが見えたのです。とっさに「鬼の手だ」と思いました。実際それが何かは不明でしたが、いずれにせよ彼女には良くないものが憑いているのでしょう。そしてみんなは本能的に彼女に嫌悪感を覚えるのだと得心しました。
私はなんとなくその正体がわかっていたから、彼女個人が嫌な子じゃないと気が付いていたんでしょうね。
彼女はのちに看護師になりますが、夜勤で霊現象に合いすぎて困っていました。毎回微熱だし、がっつり手首を何かにつかまれたときなど、一緒にいた患者さんに「今来たよね?大丈夫??」と心配された(手首にがっつり手の跡)そうです。
彼女は大人になるほど「悪霊」的なものにどんどん好かれるようになったのか、定期的に「お祓い」に行っておりました。一度など憑いているものが多すぎて、5時間ぐらいお祓いにかかり。その後その霊能者?に着信拒否されたと言っていました。なかなかです。
もう10年以上連絡をとっていませんが、元気かしら。
扉を閉じる
高校生になると霊感のある友人とは皆学校が分かれ、交流はなくなりました。
先の一人とは、大人になってたまたま付き合いが復活したのですが(それはまた別の機会に)。
日常に霊的な話題がなくなると、自然私もあまり感じなくなりました。なんでしょう「拾うチャンネルが減った」感じです。
そして大学に進学する際、私は「一人暮らし」をすることになり、ふと気が付きました。家の中で幽霊にあったら怖すぎる。子どもの頃、さんざん家で一人の時におかしな目にあいましたが、そこはかならず家族が返ってくる場所。一人暮らしは別物です。
まして進学先は、幽霊話に事欠かない沖縄でもあります。これはまずい。
そこで私は、徐々にチャンネルが狭まっていた感触を思い起こしながら、自分で「扉を閉じる」ことにしました。私は感じない、視えない、聞こえない。簡単に言えば、そう自己暗示をかけるものです。
これって、霊感のある人には割とすぐわかってもらえる感覚なんですけどね。
そうして私の扉は閉じました。
それ以降、私はほとんどそういうものを感じなくなりました。
でも「ある」ことは知っています。だから私は俯瞰で、スピリチュアルな世界をとらえるようになりました。
この次は、そんな私の「スピリチュアルな世」のお話をさせていただこうかな、と思います。


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